我が家から10分の散歩コースです。
被葬者:第83代・土御門天皇宮内庁により、第83代・土御門天皇の金原陵に治定されています。
土御門天皇は鎌倉時代を生きた方で、父は第82代・後鳥羽天皇、母は源在子です。
拝:2020/10/31
長岡天神駅から車で10分ほど、荘厳な雰囲気です。
住宅街を抜けた所にある陵 参道や木々が美しい陵です。
近畿地区でみかける御陵のひとつ。
隠岐に流された後鳥羽帝の長男にて、父親の倒幕プランに便乗しなかったが、父親や甥が流罪になるにあたり、自主的に土佐へ向かった当時の上皇さん。
幕府の計らいで鳴門に屋敷が設けられ、そこで晩節を迎えて崩御され、近くで火葬された天皇。
その後にここに埋葬されたそうです。
古都長岡京にある御陵になります。
最寄りのバス停から徒歩10分見てください。
本当に小さな御陵ですが宮内庁の管轄のです。
訪問した時も植木の手入れをしっかりしていました。
御陵道を道なりに山の方へ向かって歩くと山の麓にあります。
人家も迫っているのですが、陵のあたりは木々に囲まれていて、空気が違うようです。
阪急長岡天神駅からだとかなり歩きますが、バスを利用することもできます。
我が家から10分の散歩コースです。
少し登りなので、汗ばみます。
あまり見るものがないです。
でも、歴史を感じるにはいいと思います。
特に何があるわけでもありませんが、周りは山と田んぼがあり、長閑で空気は良かったでした。
西国三十三詣りの善峯寺へ行く際に寄ってはどうでしょうか?
第83代天皇である土御門天皇の陵墓である。
土御門天皇は後鳥羽天皇の第一皇子で、後鳥羽天皇の譲位によって天皇に4歳で即位する。
承久の乱では、後鳥羽・順徳上皇らが配流とされると、土御門天皇も自ら望んで配流される。
初めは土佐に流されてるが、幕府の少しでも都に近いところにという配慮で阿波に移る。
1231年没。
また陵墓の前には珍しく5、6台が止めることができる駐車場があり車で参拝に来ることも可能である。
こじんまりとしていますが、静寂で京都の自然が感じられる素敵なところです。
お墓の方の道は 柳谷への山道へつながっています。
第83代(生没 1195年~1231年 37歳 在位 13年)。
参陵道の途中に参道改修奉仕記念碑があり、その先に土御門天皇御陵の道標ある。
後で確認すれば左1町とあったが、右への道が参道のように思え道を誤る。
道標が無ければ直ぐに着いたものをと、「大きなお世話の親切」に感謝しつつお参りしました。
第83代天皇。
1198年父・後鳥羽天皇の譲位により3歳で践祚、即位。
事実上後鳥羽上皇による院政がしかれていた。
1210年異母弟の順徳天皇に譲位させられ上皇となる。
時代は鎌倉幕府の源頼朝が亡くなり、事実上北条時政による御家人政治が行われていた頃。
父帝後鳥羽上皇と弟帝順徳上皇が北条時政追討令を出した承久の乱で敗北し、それぞれ隠岐、佐渡に配流される。
土御門上皇は乱には加担していないが自ら配流を望み土佐に配流される。
その後阿波に遷され崩御。
一説には日蓮宗の開祖日蓮は、この土御門天皇の皇胤であると言われている。
御陵道という古くからの道沿いにあります。
すぐ裏まで大きな住宅地が迫ってきています。
すっごく楽しいです☺️
住宅地にあります。
名前 |
土御門天皇 金原陵 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
075-601-1863 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
静かな住宅街にひっそりと遺されている御陵です。
駐車場ありです。
長岡天神からレンタルサイクルで行きましたが、勾配あり結構疲れます。