バラバラにされた龍神の尾を祀ってあるというお寺、気...
印旛沼に伝わる龍神伝説を聞いてとても切なく思いお参りをさせて頂きました、裂かれた龍神様の尾の部分が祀られているお寺です、色々な龍神様がいらっしゃいますが、伝説を聞いてとても切ない気持ちに成りました、どうしても手を合わせに行きたいと思ってお参りをさせて頂きました、
ひっそりとした真言宗のお寺です。
三つのお寺制覇しました。
ありがとうございます。
夕日がキレイで最高です。
20/05/22、雨の中、お詣りした真言宗智山派のお寺。
661年の創建とされるが、709年の干ばつでの伝承から『関東三龍の寺』の一つと呼ばれている。
すなわち、あたりの村に出入りしていた龍の化身が、村人の苦しみを見かね、親分の龍の許しを得ないまま、雨を降らせた結果、親分から三つに引き裂かれ、頭が埴生庄、腹が印西庄、尾が北条庄に落ちた。
その尾を雨乞いの導師だった釈命上人がこの地に祀ったという。
所在地の地名・大寺は、古代の官寺に由来するものと考えられており、七堂伽藍を完備した名刹として参拝者も多く、幾度も雨乞いを成就してきたが、1370年の大火で建物の多くを失ったそうだ。
本堂脇の寺務所で御朱印をお願いしたところ、お土産にと寺号のはいった瓦煎餅をいただいた。
2020/5/30拝受 真言宗智山派。
関東九十一薬師霊場第83番札所の御朱印を頂きました!
真言宗智山派の寺院で、飛鳥時代の斉明天皇7(661)年の開創とされています。
龍尾寺は天竺山尊蓮院と称し、本尊は釈迦如来で、市内で最も古い歴史を持つ寺院です。
また、大同2(807)年には弘法大師が来山しており、境内にはその時掘られたというお手堀の井戸があり、その水は洗眼にも使えるとされています。
境内にある薬師堂の前に立っている石灯籠は、古くからの龍神信仰を伝えており、天平4(732)年、天下は干ばつに苦しめられ、釈明上人が印旛沼のほとりで雨乞いの祈祷を行いました。
結願の日、雷鳴とともに雨が降り出し、その直後天から三つに裂かれた龍の遺骸が落ちてきました。
それを葬って寺を建てたのが、龍角寺(印旛郡栄町)、龍腹寺(印旛郡本埜村)、龍尾寺(匝瑳市大寺)と伝わっています。
境内にある『龍尾寺板碑』は、匝瑳市の有形文化財に指定(昭和32年9月1日)されており、記念銘は応安6(1373)年とあり、南北朝時代の火災の後に再建されたことが判ります。
本堂の南側と西側に駐車場があり、特に西側は広大ですがアクセス路が非常に狭いです。
トイレありました。
龍神の頭を祀った龍角寺、腹部を祀った龍腹寺と共に「関東三龍の寺」の一つ。
(八日市場)大寺廃寺といわれる8世紀初め頃の古代寺院の後身ではないかと考えられている。
斉明天皇7年(661)の開創とされる。
『略縁起』によれば、和銅2年(709)、元明天皇の時代に全国的な大旱魃に襲われ、釈命上人を導師として請雨法という雨乞いの儀式を行わせたところ、惣領村の浜より龍神が空に向かって舞い昇ったといわれる。
空中高く昇った龍神は、まもなくすさまじい雷鳴とともに、3つに断たれて落ちてきたと 同時に激しい雨が降り出して、7日7夜のあいだ降り続いた。
3つに断たれた龍神の頭は下総国埴生庄に、腹は下総国印西庄に、尾は北條庄大寺郷に落ちそれぞれの地に祀られた。
尾が落ちた大寺の寺は、釈命上人によってその名を「天竺山尊蓮院龍尾寺」に改められたという。
手水の龍が、味のある顔をしています。
龍伝説、コンプリート目指して!
ご住職法事で不在でしたが、書き置きとお寺の瓦せんべいいただきました。
よく手入れされていてきれいなところです。
石塔の龍や手水の龍は立派です。
それ程広くはないですが、駐車スペースを大きく取ってるから敷地的には結構広いです。
門にも書いてある通り、関東三龍の寺(龍角寺、龍福寺、龍尾寺)のトリを飾るお寺です。
関東九十一薬師霊場札所第83番です。
名前 |
龍尾寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0479-74-1379 |
住所 |
|
評価 |
4.3 |
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人助けをして、バラバラにされた龍神の尾を祀ってあるというお寺、気になります。
行ってみたいと、思います。