[延喜式内社]下総國 葛餝郡 意富比神社。
船橋駅から徒歩15分位、場所が分かりにくいですが、2ヶ所の出入口には案内が出ており、まわりは住宅に囲まれ、こじんまりと鎮座しております。
境内に「入日神社の由来」の石碑があり、次のように説明されています。
「入日神社の由来当町鎮守「式内元宮入日神社」は皇統第十二代景行天皇の王子日本武尊が東夷御征討の砌り伊勢湾方面より海路を利用し先ず上総の国に上陸 次いで軍団は上総の国を出帆せられ下総の国に入るに及んでこの地に上陸された。
上陸地点は現在地に当ると伝えられている。
その後村人によって日本武尊の上陸を記念し且つその御偉徳を偲び併せて郷土守護、五穀豊饒、豊漁の神として社を建立し崇拝して来たのが即ち入日神社である。
祭神は天照大神と日本武尊を祀り古くから船橋大神宮意富比神社の元宮と言ひ伝えられている。
」
お参りして来ましたよ〜。
太鼓橋を潜った住宅街の中にあるのですが案内がなかったら分かりずらいのでみなさん出掛けるときはきおつけてください神社はかなり古いけれど手入れがされていてよかった。
いつも最寄り駅から徒歩で参拝しています。
無人ですが、定期的に人の管理がありきちんと神社としての美しさがあります。
小さな神社ですが、折りにつけ行きたくなる所です。
御祭神は天照皇大神 日本武尊。
船橋大神宮の元宮と言われている。
船橋大神宮が現在の地に遷座した後、跡地に祀ったのがこの神社らしい。
国道14号線からも裏からも入る事ができる。
国道14号線側は結構きつい階段がある。
[延喜式内社]下総國 葛餝郡 意富比神社。
分かりづらく、公共交通機関では不便なところにあるので、その点にはご注意を。
ほかのレビューにもある通り、日本武尊の上陸地を記念して建立された神社であり、船橋大神宮の本宮であるが、いまはひっそりと住宅街の中に佇んでいるのみ。
船橋大神宮の元宮があった場所で元々意富比神(「大日」神)という太陽神を祀っていたという。
日本武尊が船橋の地に上陸して賊と戦っていたとき、無人の船の中から八咫鏡と同じ鏡を得た。
日本武尊は、その神鏡の前で賊徒調伏の矢を放ち、賊を平らげて、その神鏡を当地に祀った。
海上から得た神(鏡)ということで「海神」といい、この地を海神と呼ぶようになったのだという。
最初に神鏡を入日神社に安置したが、その後船橋大神宮に移したとも伝えられている。
入日神社は、日本武尊が船橋に上陸した地で、意富比神社(船橋大神宮)の元宮で、跡地に当社を祀ったものだそうです。
御祭神は日本武尊と天照皇大神です。
小さな神社ですが綺麗に掃除されており清々しい気持ちになりました。
入日神社は、日本武尊が船橋に上陸した地で、意富比神社(船橋大神宮)の元宮で、跡地に当社を祀ったものだそうです。
御祭神は日本武尊と天照皇大神です。
小さな神社ですが綺麗に掃除されており清々しい気持ちになりました。
名前 |
入日神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
ここにこんな所が の驚き😲‼️境内の石碑には、以下のように記されている。
『入日神社の由来』当町鎮守「式内元宮(しきうちもとみや)入日神社」は皇統第十二代 京行天皇の王子日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷御征討の砌(みぎ)り、 伊勢湾方面より海路を利用し、先ず上総の国に上陸、次いで軍団は上総の国を出帆せられ、下総の国に入るに及んでこの地に上陸された。
上陸地点は現在地に当ると伝へられている。
その後、村人によって日本武尊の上陸を記念し、且つその御偉徳 を偲び併せて、郷土守護、五穀豊饒、豊漁の神として社を建立し崇拝して来たのが即ち入日神社である。
祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)と日本武尊を祀り、古くから船橋大神宮意富比神社の元宮と言い伝えられている。