名前 |
神明神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.0 |
もともとこの一帯は、おそらく1200年前後には、弘法大師(真言宗)の秘仏の薬師如来(医王)の仏像を本尊とする禅寺と末寺が数か所にあり(現在は全て消失)、神明神社周辺は、小田氏に属するとある郷士の屋敷と農民の家、農地があった。
農民は隣町の中根村、上境村、上野村から移住したものも多かった。
(郷士がいた頃農民が土器を作り生計を立てていたことから土器屋(かわらけや)と呼ばれていた。
)郷士は周辺の農民に快く思われておらず、命を奪われ、その屋敷や土地はその後農民の土地として分割されていった。
神明神社は、江戸時代になり、小田守治から与えられ藤沢村から土器屋村の土地へ移り住んだといわれる当時の名主(子孫は既にこの土地を離れている)により、その名主が持っていた神名箱を祀った作られた神社で天照大御神を祀る。
当初は同じブロックの別の場所にあったが、その後、財を成したこの土地の者により薬師寺として替えられていたため、現在のこの場所へ神明神社として再建されている。
明治時代になってから横町の八坂神社が本宮となっている。
現在、薬師寺はその場所の大部分が分譲住宅地になっているが、当時はおそらく明治時代になって医王神社(薬師堂)として合祀されたもの。