何の変哲もない公園です。
石碑しかありません。
謙信一夜城の由来臼井台上円能の此の地は戦国時代の勇将上杉謙信が兵馬を進めた城跡である 入道謙信その名は長尾景虎で越後国春日山城主であるが管領上杉憲政に頼まれ関東進出を決意し 永禄四年鶴岡八幡の社頭にて関東管領とその名跡をうけ初めて上杉氏を名乗り 関東の各地に参陣した 先に房総の風雲は北条氏綱の侵攻で天文七年安房の里見義尭らを破り 佐倉城主千葉氏らは以後北條氏の勢力下となった この勢威を打ち破ろうとしたのが謙信の宿願で 既にして上越国境を超え関東征略に陣頭指揮する事数十回に及ぶ 時に永禄九年春上州に入り 下総小金を経て同年三月臼井城城下に着到した 守勢の臼井城主原胤定は佐倉城主千葉介胤富の援護を得て 両軍満を持して動かざること月余たりさる程に上杉氏の陣営へ足利将軍の上洛を促す書状も着した状勢でもあって 翌四月越後へ引揚げた 当臼井駅南土地区画整理組合は工事の一環としてこの城址の発掘調査をなし 中世城郭の遺構も確認され 往時を追懐すると共に天地万霊の回向のため碑を建立した次第である 昭和五十八年七月吉日 佐倉市史編纂主任 篠丸賴彦 佐倉市臼井駅南土地区画整理組合 建立 光堂長津正雄書 落款 以上、石碑裏の刻文である。
お散歩コース。
上杉謙信一夜城の石碑が建っていますが、何の変哲もない公園です。
名前 |
謙信一夜城の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.7 |
昭和48年(1973)から始まった土地区画整理事業でこの辺りの地形が一変してしまいました。
かつて謙信一夜城があったとの伝承がある台地は削られて平坦な住宅地に変貌してしまいました。
開発以前の地形を表示する為、国土地理院の旧版地図「臼井(1959)」1万分の1及び空中写真(1968)を使用させて頂きました。