静かで奥深い落ち着いた良い散歩箇所。
平賀本土寺の僧日意上人の開基、とても落ち着いたお寺です。
寝釈迦?!が、見ることが出来ます❗
寝釈迦様がGood
ご立派な山門が在る、風情善いお寺さんです。
中に大きな絵馬がいっぱいありました。
よく手入れされていてきれいなところです。
ちょっとした庭や枯山水もあったりします。
本堂その他もなかなか立派で、城壁のようなものもあります。
長禄元年(1457年)1月1日平賀本土寺の僧日意上人の開基で、整備された駐車場がありました。
小高い丘を眺めると、御釈迦様が仰向けに寝ているように見える「寝釈迦」という景勝地が八街の根古谷地区にあります。
法宣寺さんは、その右腕あるいは右胸辺りに位置しています。
階段を昇ると山門、そして、本堂・祖師堂があり、色鮮やかな絵馬が奉納されていて、往時の篤い信仰が伺えます。
法宣寺のある根古谷を含む塩古(えんご)地区を日蓮聖人が通り掛かり、死んだ白馬を供養したという伝説があるのも、人々の思いの産物なのだと思います(勿論、実際に近隣地域を通られた可能性もありますが)。
お寺の前には広々と水田が広がり、参拝したときは丁度田植えの時期でした。
蛙の鳴き声が響いていて、(私の家も元は農家だったので)懐かしい思いでした。
正に「日本の原風景」という印象です。
御住職もとても親切にして下さいました。
田んぼと野山に囲まれてとても落ち着く所にあります。
個人的には心が静まれる場所で気に入ってます。
自分は行った事はないのですが、定期的に本堂で音楽イベント的な催しも行われてるみたいです。
赴きのある寺院です。
寝釈迦様の懐にあります。
静かで奥深い落ち着いた良い散歩箇所。
法宣寺縁起についての一考察 法宣寺は、室町時代の長禄元年(1457年)平賀本土寺の僧侶日意上人によって開基されたのだという。
法宣寺のある位置から南東、田谷を挟んで向かい側には根古谷城が位置している。
当時の城主原信濃守胤良(法号道儀)の子息助景は難病に苦しんでいたという。
そこへ、平賀本土寺(今の松戸市に在)の僧侶日意上人が、布教の為この地を訪れ、事情を汲んだ日意の懸命の祈祷や妙符(日蓮宗秘伝の飲み"御経"薬)で、助景の難病が快気した事で、この霊験あらたかな様を目の当たりにした父胤良が、謝恩のため当寺を建立したという。
日本昔ばなしにありそうな、なんとも心温まる良い物語である。
一方、その後の助景はどうなったのかふと気になった為、調べてみることにした。
原助景は、康正2年(1456年)の生誕。
(引用ウェブサイト:千葉氏の一族 弥冨原氏の"想像"系図) つまり、当時生後間もない赤子であったと思われる。
生後0~1歳児の難病とは、かなり重篤な状態であったのだろうが、それが回復したのだから父母の喜びはいかばかりであったろうか。
しかし、続いて系図を見ると、なんと助景は文明2年(1470年)に逝去してしまった。
恐らく生来病弱だったのであろう。
14年の短い生涯だった。
この史実を知った時、何とも言えぬ哀愁が募ると共に、再び当寺を訪れる思慕の念もまた募るところである。
のどかなお寺✨🌿
名前 |
法宣寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
043-445-5736 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ
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村に昔からある日蓮宗のお寺。
お堂には奉納された絵画の数々。
根古谷の地名もあり、古くはお城もあったのかなぁと伺わせる。
谷津と台地の境目に建っています。
台地の形が「寝釈迦」にみえるとか。