二月堂、法華堂など大仏殿以外の諸堂の仏像も魅力的で...
奈良の大仏」で有名な「東大寺」の見どころは、二月堂、法華堂など大仏殿以外の諸堂の仏像も魅力的です。
緑あふれる広大な境内を散策しながら見どころを巡ることができます。
ドライブ中、「大仏通り」の標識を発見し、「市原に大仏なんてあったか?」と調べてみると、「奈良の大仏」なるものが近くにあったので訪問してみました。
畑の細い道の先にお目当てのものがあり、手前に数台止められる駐車場と古いトイレがあります。
鎮座されている大仏様ですが、本家の「奈良の大仏」とだいぶ異なります。
大仏通りと言うくらいだから大仏あるのだろう…ここね、しかも奈良の大仏。
裏から来たら探すハメに。
素直に大仏通りからをオススメ。
とは言え気づきにくいとは思う。
千葉なのに奈良の大仏が!?となる場所。
地名も奈良で付近の道路の名前も大仏通り。
詳しくは市原市のホームページに詳しく書いてありますが、10世紀頃に下総地域で反乱を起こした平将門公が奈良の大仏を模して建立したものが形を変えて現代まで残ったものだそうです。
かつては銅像だったらしく、現代に至るまで何度も補修等が繰り返され、最近では2011年の震災で倒壊し、住民と市原市が費用を折半した上で協力し、再建されたものらしいです。
始めは、承平元年(931年)に平将門により銅像で建立したと伝えられています。
いまは穏やかなお顔の石仏が置かれています。
石仏の台座にも承平元年と刻まれています。
静かで美しい空間です。
スダジイ、スギ、モミの巨木に囲まれています。
この周辺は全ての樹が立派で、古くからの街道であったことが窺えます。
5月初旬、左脇の林の奥にアオマムシグサと立派なキンランが咲いてました。
千葉にある奈良の大仏です。
バイク旅の人がいました。
途中道が狭いので、ご注意を。
車は4〜5台ほど停められます。
きれいな並木道の先に静かに大仏様が立っています。
大仏通りから少し入ったとこにあり、前から気になっていたので来訪。
大ではないですよね。
て感じ。
「奈良の大仏」という名前から想像して訪問すると、とてもこじんまりとした感がありますが、地域の方によって良く整備され、凛とした雰囲気のある神域となっています。
以下、地元の方に聞いた情報です。
・千葉県東方沖地震や東日本大震災の際に釈迦如来像(大仏様)が落下して損傷し、その都度、市と地域住民でお金を出し合って修復してきた。
東方沖の時は地元市原市八幡の石材店が修復、東日本大震災の時は京都の石材店に修復してもらった。
・大仏に隣接した田畑を挟んで平将門の愛妾、「桔梗の前」の住家があったという言い伝えがある。
・ここでは詳細な場所は伏せますが、近くに金の仏像が埋められており、昭和50年代に盗掘にあったが、しばらくして元の場所に埋め戻された。
・仏像の後ろの大木はモミの木のように見えるが、実は将棋盤などに使われる貴重な榧(カヤ)の木。
・参道に対して仏像が若干西を向いているが、本家の奈良の大仏の方角を向いているそう。
千葉に奈良の大仏があると知り訪れてみました。
あの大仏を想像して行くとそのこじんまりとした小ささに驚くかもしれません。
市原市の指定文化財だそうです。
過去に何度か作り直されているみたいで、3.11の震災の際にも頭部の一部などが損壊したらしいです。
しかし、市と住民が費用を折半して修復されることになり、同年の秋には無事に修復されたようです。
2017.11
花が供えられたりして大事にされている感じが伝わります。
車止めの手前に未舗装の駐車場?3台分くらい。
千葉の大仏として何度もテレビで紹介されてます。
大仏かと思ったら実際は小さかったです。
歴史は古い様です。
奈良の大仏は将門伝説の名残かも?地区の人達で大事に守られています 古都辺の地名も将門が詠んだとも言われてますよ 古の都の辺りと また奈良と言う地名も 誰か深く探って下さい‼️
名前からして鎌倉や奈良の大仏を連想してしまいますが、決して比較して語ってはいけないほどの仏像の大きさ(体長1.5~2m)です。
東北の震災のときに首が折れて落ちたそうで、無事修理が終わったそうです。
市原市の名勝に指定されている大仏さんだね😉以前、テレビのクイズ番組で、紹介されたことがあったね😵ここも数ある将門伝説の一つだね。
将門が天皇に対抗して、「新皇」を名乗った時に建立されたというから、歴史はずいぶん古いものなんだね😉平安時代のものなんだね。
平成23年の東日本大震災のときに、損壊してしまったらしいんだけど、市と地元住民とが、折半して費用を負担して、修復したということだね。
地元の住民等から、ずいぶん大事に守られて来たんだね😃そう言えば、お参りした時も、綺麗な花が供えられていたんだよ😃嬉しいね。
大昔し、「奈良の大仏❓」不思議な名前に引かれて山の中を歩いて来てみた! 「大仏ではない👊 インチキ 話しが違う👊 小さな石仏だ❗️ と思った。
期待してはいけない!約1100年前は、銅製の盧舎那仏の大仏であったらしが?何故か 文化元年(1804年)小さな石仏に変身❓ここで疑問! なぜ奈良の大仏?平安時代に、平将門なる英雄がいて戦いに連勝して坂東を占領し!天皇に対して 新皇と名乗った!対抗上、新皇の住む都(坂東市)の南に、京都の南にある奈良の大仏を真似して作ったらしい?この地域、将門の伝説が多い。
多分 将門が良く来ていたのだろう? ① 将門ロード → 将門が馬に乗って通った道、 この辺から、野田十文字(誉田)、神門(佐倉)を 通って坂東へ行く古道 ②桔梗塚の石塔 → 永吉に平野神社に石塔がある これに、将門の側室、桔梗の前の伝説があり この地区には、桔梗の花は咲かないらしい?
奈良大仏 江戸時代中期の儒学者、中村国香の記した書[房総志料]によれば、国香は、里人の聞き込みから、奈良大仏の存在を知り、実際に当地に訪問したという。
その時の奈良村の仏像は銅製で、草叢に覆われ、像の裾部分が地中に埋もれているものの、やや大きめの佇まいで、表面が緑青で覆われている様子が伺える。
つまり、江戸時代中期には尚、銅製蘆舎那佛が存在していたことになる。
その後、何らかの理由で建て替えられ、現存する仏像は、文化元年(1804年)に建立された、等身大(像高約1.7m)の石製釈迦如来像であるという。
名前 |
奈良の大仏 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.6 |
★国宝の盧舎那仏ルシャナブツ坐像=奈良の大仏は銅製では★世界一の大きさで顔は江戸時代に作り直された728年聖武天皇が創建の東大寺・時代時代の思いを繋いで今に至る自然災害ゃ病気などに苦しめられた奈良時代★大仏は国家安寧ゃ病気平癒を願い民衆から寄付を募って造られた動物ゃ植物も命あるもの全てが共に栄える様に★みんなで大仏様をお造りした。
文化財は金堂=大仏殿・南大門・中門・念仏堂・大湯屋・石造り獅子などがある・現存の大仏殿は1709年再建されたもので世界最大規模の木造建築物である。