古墳時代の横穴墓探訪。
谷ノ上横穴墓群の特徴
古墳時代後期の横穴墓群が見られる歴史的な場所です。
1960年代に遊んだ懐かしい思い出が息づく地域でもあります。
歴史を感じながら散策できる貴重な史跡の一つです。
小学生の頃(1960年代後半から1970年代前半)、この界隈でよく遊んでました。
当時は何の看板も無く、単なる穴と思っていましたが、今見ると、ちょっと驚きですね。
古墳時代の横穴墓。
横穴墓が作られてたのは6世紀〜8世紀らしいからこれもそれぐらいの時代のものなのかな?斜面に大きめの看板があるんだけど手前に木が生えてたりして見つけづらい。
看板の下に何基か横穴墓があるみたいだけど自分が訪れた時は草が茂っててあんまりよく分からなかった😅歩道にちょっとした説明の看板とかがあるともっと分かりやすいかも。
見逃しやすい場所だけど大昔からここで人の暮らしがあったと感じられる身近なスポットだと思う。
高速道路のそばの森、普通付近を開発するときは祠を建てるもねだけど、ここにはそれがない。
罰当たりですね。
古墳時代後期の横穴墓群。
埋め戻されているが、横穴の位置を示す石積みと看板がある。
名前 |
谷ノ上横穴墓群 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
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横穴墓(おうけつぼ)とは,現在廃れてしまった死者の埋葬方法をいう。
主に斜面にトンネルを掘って,その奥に遺体を安置する埋葬習俗で,紀元五世紀頃に北九州の豊前地域で発生したとされる。
これが紀元八世紀頃までに,東日本太平洋沿岸地域にまで広まった(ただし,四国や長野,そして福島と宮城を除く東北以北では殆ど確認されていない。
)。
また,一口に横穴墓と言っても,時代性と地域性があり,様々な類型が確認されている。
調べるに,ここ谷ノ上横穴墓群は,昭和四十七年,道路工事の際に計五基が発見されたという。
また,2005年には新たに十二基の横穴墓が発見された。
現在案内板があるのは,昭和四十七年に調査された方であるらしい。
(少し西側にある梵天山横穴墓群もそうだが,)谷ノ上横穴墓では,「石積」と呼ばれる特徴的な構造が確認されているという。
これは墓の出入口両側壁に川原石を組んだ点に特色があり,国分寺市や相模原市等でも同様の遺構が発見され,かつ他の地域では殆ど見られない構造であることから,多摩丘陵地域の横穴墓の特色と考えられている。
実際に現地では,土に埋もれた若干の川原石の露出が確認できる。