古墳時代前期初頭の大型前方後方墳である。
六甲山系南嶺の扇状地末の西端バチ型の前方ぶを東に向ける前方後墳です。
後方部墳丘上からは多数の土器が出土し、葬送儀礼に使われていたとされてます。
築造時期は3世紀後半、神戸市内最古の古墳です。
整備されているほうです珍しい前方後方型ですからね。
◽アクセス阪神本線/西灘駅:徒歩5分◽古墳のデータ神戸市埋蔵文化財センターのサイトで、以下のように解説されています。
全長95mの「前方後方墳」。
処女塚古墳・東求女塚古墳とともに、悲恋伝説の主人公の墓として知られている。
平成5年度の発掘調査で、三角縁神獣鏡をはじめ、多くの青銅鏡が出土。
西求女塚古墳は兵庫県の南東部、六甲山系と大阪湾に挟まれた標高6から8mの扇状地上に立地する、古墳時代前期初頭の大型前方後方墳である。
古墳の存在は古くから知られており、『万葉集』などでは悲恋伝説の舞台として語り継がれてきた。
現在では、市街地の中にある公園として整備されており、市民の憩いの場として利用されている。
神戸市教育委員会では、昭和60年度から古墳の内容を確認するための発掘調査に着手した。
途中、平成7年1月に発生した阪神淡路大震災等により中断した時期はあったが、調査は平成14年度に終了した。
その結果、慶長元年(1596)に発生した慶長伏見大地震により、墳丘や埋葬施設である竪穴式石室が地滑りや崩落の被害を受けていること、墳丘は前方後方墳であることが判明した。
古墳の規模は全長98m、後方部長52m、前方部長46m、後方部幅50m、くびれ部幅25m、高さは最大9mで、主軸は東西方向である。
前方部には2段以上の段築があり、葺石は基底部付近でわずかに検出された。
埋葬施設としては、後方部で主軸と直交する南北方向に1基の竪穴式石室が確認された。
この石室は、地震による地滑りで全体の3分の1が崩れており旧状は留めていなかったが、南小口から75cmのところで大きな1枚の板石により仕切られ、遺骸の埋葬された北側の主室と副葬品だけが納められた副室からなっていることが判明した。
また、石室に使用された石材にはベンガラの上に水銀朱が塗布されていたことも明らかとなった。
副葬品は、主室から三角縁神獣鏡7面を含む青銅鏡12面、鉄槍2点、短剣4点、小札1点…
公園になっています。
もう、古墳という感じがしないくらい、公園として整備されています。
公園としては緑が多くて良い所だと思いますが、訪問した時、古墳のてっぺんで、ゴルフの練習のためクラブを振り回しているマナーの悪いオヤジがいました。
西求女塚古墳(にしもとめづかこふん)墳丘長98mの前方後方墳、築造時期は3世紀後半と推定。
国指定史跡。
断層が直下を走っており慶長伏見地震(1596年)で墳丘が変形している。
「一般に前方後方墳は、ヤマト王権の直接の支配下に入らず、周辺部で独自の勢力を有していた有力な豪族の古墳に多いとされ、本古墳の被葬者もそうした一人であった可能性が高い」とのこと(ウィキペディアより)この古墳が築造された3世紀後半はヤマト政権の初期にあたり、卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳(築造時期:3世紀中頃)から1世紀も離れていない。
ヤマト政権が、各地と交流を深めながら、これから支配力を高めようとしていた時代だ。
そういう観点から見ればヤマト政権との関係も想像が膨らみ、興味深い古墳である。
名前 |
西求女塚古墳 |
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ジャンル |
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電話番号 |
078-992-0656 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/center/spots/html/nada/onna.html |
評価 |
3.3 |
阪神の西灘駅の近くです。
緑も多く散歩コースになっているようです。
住宅街の中の貴重な遺跡です。