古墳の感じは無いですが石棺を何の遮りも無く直接見る...
古墳の感じは無いですが石棺を何の遮りも無く直接見ることができ良かった!キチッと石棺が管理され保護されているね~。
説明板におもしろいことが書かれています。
「寺の僧の言い伝えでは、北側の石棺は里見忠弘の嫡男、里見弘次の墓で、南側は誰の墓か不明だが、里見義弘の舎弟、正木大膳かもしれないということだ。
だが石棺から甲冑太刀、埴輪などが出土しているのでもっと昔の人の墓だ。
里見広次や正木大膳の墓というのは誤りだ。
」たしかに、どう見ても古墳時代の墓に戦国時代の武将が葬られているはずはありません。
石室を間近で遮るものもなく目にできるのは貴重だと思う。
普通の丘に見えます。
大人になるとこういう所が楽しめますね。
公園全体が想像より小さめで、ちょっとだけ彷徨いました💦前方後円墳ってなんか好きです。
盛り土は無くなっているが立派な石室が保護されて現存する。
古墳の石棺がむき出しになっています。
19世紀にはもう石棺が外に現れていたよう。
誰かがペットボトルの水をお供えしてありました。
見逃さないように!
古墳については全くの素人なのですが、ザ・古墳を期待していくとこんなものかという感想です。
それはそれとして蚊が多すぎた点がイマイチでした。
石棺はそれっぽく並んでるけど、むしろ城跡の雰囲気がはっきり伝わってきます。
ここがそうか?
里見公園北西部の小高くなった場所に2つの石棺が並んで置かれているのが見られます。
この2つの石棺は文明11年(1479)太田道灌が千葉自胤を援助して臼井の千葉孝胤を攻めた時、陣を築こうと盛土を取り除いた際に露出して発見されたと伝えられています。
数枚の緑泥片岩を組み合わせた箱式石棺で古墳時代後期にこの地方で勢力を振るっていた豪族の墓であろうと推定されます。
「江戸名所図会」にも、この石棺の記述が見られ1つは里見長九郎弘次の墓で、もう1つは正木内膳の墓だという言い伝えもあるが、どちらも誤りで上世人(大昔の人)の墓だろうと正しく推測をしています。
とりあえずお写真を。
名前 |
明戸古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
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全長約40メートルの前方後円墳だそうですが、城を築く時に削られたりしたみたいで形が今一つはっきりしません。
国府があったことを彷彿させる存在です。