あとからこの状態になったのでは……
■鵯越の碑「史蹟 鵯越」碑の石柱が神戸市立鵯越墓園の南門辺りにある。高さ1.5m程の石柱。昭和29年(1954)神戸市建立。墓園南門付近の市道夢野白川線(旧西神戸有料道路)の植え込みに建つ。●史蹟地点を標す石柱碑だ。周囲の全てが道路に囲まれた植込地帯にあり、立ち入り難い地に建つ。視界は植栽が遮って、通りからでは石柱がチラッとしか見えない。これで善い、観る地ではない、見辛いが此の辺りとは判る。立入り難いからこそ荒らされる心配はない。一の谷合戦の戦場は多岐になる。逆落しの地点は現在GoogleMap📌で示す地点は承知している。が、自身は別の地点が有力とみている。
この鵯越地点は疑いはない。当石柱碑は義経隊だけでなく他の源氏方もここを通過し進軍したとする最重要地点。歴史的にも戦況的にも外せない地点。語り漏らしては語れない地点だ。
思うに……かなり昔に先に石碑があって、あとからこの状態になったのでは……
わざわざ、このような場所に碑をつくる必要があったのだろうか…😑
車停められないし、碑自体草に隠れて見えない! 何故にあの場所に作った?
名前 |
鵯越の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.9 |
鵯越えの史跡。
石柱には「この道は播磨交通の古道で源平合戦の時、源義経がこの山道の辺りから一の谷へ攻め下ったと伝えられる」と掘られています。
歴史マニアじゃないと、きっと興味すら湧かない場所かもしれない。