山奥にすごく神秘的な場所がありました。
風神山自然公園から歩いてザックリ1時間半。
軽いハイキングコース。
神社の周囲は杉やモミの巨木が多数。
特に樹齢950年の爺杉は必見です。
由緒板によると大同2年(807)創建。
ご祭神は天己貴命と少彦名命。
のちに佐竹氏が社殿を造営したそうです。
なので佐竹家紋の五本骨扇に月丸が随所に見受けられます。
境内には複数の摂末社が祀られていて、海抜329mからの眺望が素晴らしかったです。
(^○^) 因みに真弓山の寒水石を持ち帰ると、天狗の怒りを買うことになるとの言い伝えがあるので気をつけて下さいね。
((( ;゚Д゚)))
こちらの神社は真弓山の頂上にあり多少登山をしますが眺めも良く最高の場所です。
御神木の爺杉も立派です。
大己貴命と少彦名命が祀られています。
山頂にありますが立派なお宮です。
ぜひ参拝してください。
境内奥の見晴らしが良いです。
神社手前を降りた先にある爺杉も是非お立ち寄りください。
風神山登山口からゆっくりで1時間半です。
標識もあり数ヵ所にベンチもあるので初心者向きでしょう。
神社も風格ある造りでした。
眺めも良好。
Google Mapのストリートビューも途中で途切れていて全く参考になりません。
ダート道を走り、行き着いた先が裏参道の入口でした。
真弓神社御祭神は、東金砂神社・西金砂神社と同じく「大己貴命(おおなむちのみこと)」「少彦名命(すくなひこなのみこと)」です。
72年毎の金砂神社大祭礼(磯出)の際、前を通りかかった行列が真弓神社に向かって「弓を鳴らす」慣わしがあるそうです。
参道の入口をWEBで見つけられず、現地に行った。
オモテサンドウがわからず結局裏村道からの参拝になったのが無念。
「お真弓さん」とも「真弓山王 大権現」とも呼ばれている神社です。
以下は神社庁からの転載です。
【御 祭神】大己貴命(おおなむちの みこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)【御 神徳】諸業繁栄のお社で、漁業 関係者のお参りがある【御 由緒】大同2年(807)創立(社伝)。
坂上田村麿、大伴乙麿、北征の日此処に八所権現を斎祀。
堀河天皇寛治年中源義家この神に祈願し、陸奥を平定して凱旋の日、弓八張を奉つて報賽。
依つて真弓八所権現と云う(天明2年罹災古記を失う)。
古来武門の崇敬社として著名で佐竹氏 が真弓村一村除地として社殿造営。
徳川幕府25石の朱印地圭田を進む。
水戸藩主徳川光圀公が山王大権現の称号を奉る。
又当山が水 戸城の鬼門にあたるため、神徳を崇敬し30余村の大鎮守とされた。
春季大祭に歴代藩主は御連枝様を代参させられた。
徳川斉昭公が弘道館記碑を作る時、当山の大理石を使用することにしたが、当時「お留山」であつた処の石材を搬出にかかると大風雨となり、皆神の祟りを恐れて応ずるものがいなかつた為、 烈公は和歌「武士の引立様と曳く石を真弓の神のいかで惜まむ」「我が国の道をひろむる石なれば真弓の神の祟りあるまじ」の二首を白扇に書し、大前に祈願し無事搬出せられた。
又神蔭流の元である陰流の始祖愛洲移香当山に篭り修行その極意 を得た。
天明3年(1783)宮司宅地内に分社(里宮)創建。
明治元年12月社号を真弓神社とあらためた。
同5年1月村社に列格、同43年9月22日(第512号)供進指定。
昭和19年4月8日東久邇宮盛厚殿下御参拝あらせられた。
同27年6月16日宗教法人設立。
同29年10月社殿改築(権現造)。
当社は海抜329mの霊峰上(香炉峰の異名)に鎮座し、県北を見はるかし、特に農業、漁業関係者に厚い崇敬層をもつている。
【祭 礼】1 月1日歳旦祭旧2月 15日例祭(漁業関係者の崇敬が厚いの で旧暦で厳修)旧 6月13日御田植祭10 月1日秋季例祭旧 8月1日八朔祭(神饌に萓箸を添えてお供 えする)10月1日秋季例祭旧 10月18日甘酒祭(新穀で甘酒をつくりお供 えする)【文 化財等】神木・爺杉 (目通り幹周9.5m、樹高45m、樹令推 定900年。
今なお樹勢すこぶる盛んであ る。
昭和46年6月15日市指定天然記念物 第1号指定、同46年12月2日天然記念物 第54号県指定)以前は婆杉もあったが,明治17(1884)年に焼失している。
真弓馬(別 称:松木駒)源義家公ゆかりの当社授与品。
西参道から登りました。
神社に向かう途中の道路から砂利道になりますが、砂利道の先に駐車場はありません。
車で来る場合は舗装道路の途中で停めてきた方がいいです。
砂利道はあまり整備されておらず車高が高くない車の場合は車の腹を擦るので(私のように、、、)真弓神社は思ったより整備されていてキレイでした。
また神社周辺はDOCOMOの4Gエリアで電波繋がりました。
周辺景色もキレイでオススメです。
先に書き込みがあるように、山奥にすごく神秘的な場所がありました。
西参道からあがっていきましたが、それなりに山道を登って行きます。
目的地である真弓神社は想像していたよりも、整備されていて安心して訪れることができます(朽ちているのを想像していました)
非常に素晴らしい素晴らしいplces(原文)very nice amazing plces
杉とても圧倒されました!!一見の価値あります*お掃除をしていたおじさまがとても優しかった。
山奥の神秘的な場所です。
私は大みかの風神山からテクテクと歩くのですが程よいハイキングができるお気に入りの場所です。
パワーをもらえる場所です。
爺杉、婆杉、夫婦杉があります。
爺杉は推定940歳(9年前時点)と書いてあったので、今は約950歳!婆杉は、跡しかありませんでした。
【茨城県神社庁HPより】 大同2年創立(社伝)。
坂上田村麿、大伴乙麿、北征の日此処に八所権現を斎祀。
堀河天皇 寛治年中源義家この神に祈願し、陸奥を平定して凱旋の日、弓八張を奉つて報賽。
依つて真弓八所権現と云うと(天明2年罹災古記を失う)。
古来武門の崇敬社として著名で佐竹氏が真弓村一村除地として社殿造営。
徳川幕府25石の朱印地圭田を進む。
水戸藩主徳川光圀公が山王大権現の称号を奉る。
又当山が水戸城の鬼門にあたるため、神徳を崇敬し20余村の大鎮守とされた。
春季大祭に歴代藩主は御連枝様を代参させられた。
徳川斉昭公が弘道館記碑を作る時、当山の大理石を使用することにしたが、当時「お留山」であつた処の石材を搬出にかかると大風雨となり、皆神の祟りを恐れて応ずるものがなかつた為、烈公は和歌「武士の引立様と曳く石を真弓の神のいかで惜まむ」「我が国の道をひろむる石なれば真弓の神の祟りあるまじ」の二首を白扇に書し、大前に祈願し無事搬出せられた。
又神蔭流の元である陰流の始祖愛洲移香当山に篭り修行その極意を得た。
天明3年宮司宅地内に分社(里宮)創建。
明治元年12月社号を真弓神社とあらためた。
同5年1月村社に列格、同43年9月22日(第512号)供進指定。
昭和19年4月8日東久邇宮盛厚殿下御参拝あらせられた。
同27年6月16日宗教法人設立。
同29年10月社殿改築(権現造)。
当社は海抜329mの霊峰上(香炉峰の異名)に鎮座し、県北を見はるかし、特に農業、漁業関係者に厚い崇敬層をもつている。
敬神婦人会の多大な協力がある。
名前 |
真弓神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0294-74-2803 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.6 |
周辺のオススメ
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風神山ハイキングコースから真弓神社へ向かいました。
苦労してたどり着いた分、感動が大きかった。
お社からの眺めは素晴らしい✨