武田信玄公が笛の音に釣られて出たところを狙撃され死...
野田城駅から徒歩で向かいましたが、およそ20分程かかります。
城址内は木々が生い茂り、空堀跡と井戸跡程度しか遺構は残っていませんでした。
城址としては小さいので、すぐに見て回れると思います。
8月に伺いましたが虫がすごいです。
虫よけスプレーを大量に体にふりかけましたがほとんど意味をなさず、沢山の虫刺され跡が残りました。
夏はご注意ください。
城址内には武田信玄公を狙撃した場所としての看板が立っており、近くの神社にも信玄公が狙撃されたという場所があります。
どちらも整備されている訳ではなく、特に狙撃された場所は蜘蛛の巣などがひどく、近付くことを躊躇うほどでした。
信玄公を狙撃したとされる銃の実物は設楽原歴史資料館で展示されています。
2023年7月24日行って来ました。
行き方Googleナビで野田城跡にセットすると行けます。
撮影済み駐車場専用駐車場は無し、但し車を停めるスペースは有ります。
感想規模的に大きくは無い城跡ですが、武田信玄狙撃場所や井戸が有り、南東の方角に武家屋敷跡など見所は沢山有ります。
見学の際は足元に十分気を付けて下さい。
後、北西の方角には二の丸、三の丸が有りそちらも合わせて見学をお勧めします。
撮影済み。
信玄狙撃伝説の遺る城。
野田城址は子供の頃から存在は知っていましたが初めて入りました。
鬱蒼とした森の中すぐ本丸で、段々に曲輪が連なる縄張りのようです。
本丸下には綺麗に堀が残り土橋を渡って入る構造は作手古宮城址に似てました。
本丸入口を降り右手すぐ脇にお寺があり野田城の移築された門が今も残ります。
野田城は信玄狙撃伝説があり、城内には狙撃場所が残り谷を隔てた所に信玄が撃たれたとされる場所が遺ります。
用心深い信玄がこんな近くにいたのでしょうか。
城址マニアには見応えある城址だと思います。
野田城駅から徒歩20分弱。
武田信玄は三方ヶ原の大勝後に3万の大軍でこの野田城を囲み、力攻めする事なく金堀衆を使って井戸の水を絶ち降伏させています。
遺構は井戸を含めそこそこ残っておりますが、道路が真ん中を貫いて中腹から入る形になっていて、大手・搦手や川に挟まれている構造が今ひとつ実感できず、ヤブに覆わた部分が多いです。
逸話として、夜中に城内から聴こえてくる見事な笛の音に信玄が聴き入っていた所を狙撃された…という話があり、銃身も設楽原資料館に保存されています。
文献としては「武田陣内に撃ちかけたら騒ぎになった」くらいのものですが、黒澤映画「影武者」でこの説がとられてますね。
400年ほぼ放置され埋もれた野田城をここまで整備されたのは、地域にお住まいの音楽家の方だそうで、地権者と交渉しながらかなりのご苦難だったとか。
おかげでこちらも訪問できるわけで、頭が下がります。
演奏会も開かれているそうなので拝見したいものです。
子供の頃は避けていた城趾です。
黒澤明監督の影武者にも出てきたお城で、なんとなく怖いイメージがありますが、よく整備されています。
歴史にもしはありませんが、信玄公がここから上洛の兵を進められたら、と想像するのは、私だけではないでしょう。
整備された方々にありがっ様です。
国道151号線の豊島交差点を右折して200mほどの所に説明板があり、入った所がⅡ郭で南側に主郭との間の空堀があります。
主郭との間の土橋を渡ると、主郭側の土塁があり、東端には稲荷神社が祀られている。
空堀は横矢を考慮して、折があり東端は川へと落ちて行くようです。
主郭から侍屋敷に降りる周辺は、土塁やら竪堀の様な谷間やら、良く判断できない構造で、悩まされました。
その後西の谷間にある武田軍の金堀工夫が開けた穴や武田信玄が狙撃された場所を探しましたが見つからず、むなしく退散しました。
駐車場から主郭まで5分。
(2010年登城)
愛知県新城市の野田城を訪ねました。
映画やドラマでは高台の城内から低地の将棋に腰掛けている信玄を狙撃するという場面が描かれており、高台の城かと思っていましたが、市街地にあり、少しイメージと違いましたが、遺構はよく保存されているかと思います。
本丸空堀・土塁 見応えあり。
この地の北側には東西方向に伊那街道が通り、北上すると長篠城や信州や遠江方面、南下すると吉田城などがある東三河平野部に至る。
つまり野田城は、東三河の山間部と平野部の中間地で街道を押さえる拠点的な役割を果たしていたと考えることができる。
立地は、本宮山麓からなだらかに派生した丘陵が舌状に張り出した先端部に位置している。
城郭の構造は南北に延びる丘陵地に3つの曲輪を配した連郭式で、丘陵端部の一番奥まった南側に位置する曲輪が中心となり、3つの曲輪のうちで標高が一番低い。
幾度となく城が攻撃された野田城であるが、その都度城を奪還して修理を繰り返した結果、1573年の野田の戦い時には、武田軍と籠城戦ができるほど野田城の縄張りはより堅固なものに改修されていたものと推測される。
武田信玄の最後の戦の場所と言われています。
城跡という感じがすごく伝わってきて想像力が湧きました。
もっと整備して貴重に保存して欲しいと思いました。
野田城址は駐車場が無いので、道沿いに車を停めることになります。
人はほとんどおらず、静かに見学することができる城址です。
入口から入ると、左手に二ノ丸跡、奥には井戸跡などがあります。
井戸は案外大きく、びっくりします。
菅沼氏の居城。
周囲の戦国武将に翻弄され続けた城。
また、武田信玄が狙撃された伝承が残る城。
本丸と二ノ丸の間にある空堀、土橋がよくわかる。
木を全部切ってしまえば、連郭式の構造がわかりやすいんだろうが。
ここが黒澤明「影武者」の元になった伝説の舞台と思うと感慨深い。
武田信玄公が笛の音に釣られて出たところを狙撃され死因に繋がったという曰くつきのお城。
黒澤明監督作品「影武者」はこの説を採用しているのですが、笛の音を聞くのに無防備にここまで敵陣に近づくのか?と。
位置的にガセに思えますが・・・。
野田城(のだじょう)は、愛知県新城市豊島にある日本の城。
別名「根古屋城」、「三河野田城」とも呼ぶ。
1505年(永正2年)に菅沼氏が築城した城である。
最寄り駅はこの城の名より名付けられたJR飯田線野田城駅。
下車徒歩15分。
武田信玄がこの城を攻めた時、城から聞こえる笛の音に聴き惚れていたら鉄砲で狙撃され、その傷が原因で死亡したとの伝説がある。
江戸時代に定盈の後裔が記した『菅沼家譜』で記述が見られるが、武田側での記述は定かではない。
もっとも菅沼側でも「夜陰での鉄砲狙撃後に武田陣中が騒々しくなった」ような記述でしかなく、命中したことを明らかにしているわけではない。
なお、黒澤明の映画『影武者』は、この伝説を元に制作された。
駐車場はないので、すぐ脇に路駐をすることになるのですが、とにかく蚊がたくさん。
ほとんど立ち止まることができず、走りながら一周しました。
武田信玄公が狙撃されたという伝説が残る場所。
インターからもさほど遠くなく、行きやすいお城です。
野田城址は、菅沼氏が築城した城で規模は然程大きくない。
武田信玄を鉄砲で狙撃した場所とも言われている場所である。
敷地内には野田城稲荷があり、また昔の井戸跡が残されている。
JR飯田線の野田城駅から徒歩約20分です。
石碑、案内板があるのは北西の道路側に面した辺りですが、駅から線路に沿って歩いてゆくと南西側の民家に小さな看板があり、その横の細道を藪の中を上ってゆくと城址跡地に行けました。
堀の跡と思われる地形が残っていますが、城址としてよく整備されているという雰囲気はありませんでしたが保存されているだけでもありがたいですね。
連郭式の平山城だそうです。
が、手入れされておらず、只の雑木林にしか見えませんでした。
せっかく新東名ができて観光客が増えそうなのに、もったいないような...。
長篠・設楽原の戦の前哨戦として武田軍が攻城しました。
黒澤明監督の映画「影武者」では、オープニング後にここで信玄が狙撃されたシーンがありましたが、本当でしょうか。
本丸跡のみ整備されていました。
土塁や堀跡がわずかに残る程度で、これといった見どころはありませんが、この城には武田信玄狙撃伝説が残っています。
真偽の程はわかりませんが戦国のロマンに浸るのも良いのでは。
武田信玄終焉の地。
信玄の上洛の夢がついえた。
444年前の井戸跡が今でもきちんと残っている事に驚きました。
野田菅沼氏の居城。
武田信玄最後の戦の城。
本丸周辺を除くと、藪がきつい。
城跡そのものは特段観るものはないが、武田信玄を狙撃したと言われている場所がある。
これを観たなら対岸の法性寺に行き信玄が狙撃されたと言われている場所を観ておくべきです。
結果的に武田信玄公最後の戦となった場である三河野田城。
様々な伝説が残る小城であるが、その歴史的価値は城の規模よりもはるかに大きい。
菅原氏の拠点である野田城跡。
三方ヶ原の戦い後、武田信玄公が野田城に進出し、ここで野田城の戦いが展開され信玄公が狙撃された。
名前 |
野田城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0536-23-1111 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/8,22250,149,722,html |
評価 |
3.4 |
久々に来てみて、三の丸周回見学路があったこと。
南側の出入り口が枯れ木でふさがれて通れないようにしてあったのが大きな違いでした。
駐車場は無いです。
JR野田城の駅から大野田城を見て南からの道で法性寺の山門を見て野田城に来ると、よい運動になります。