ココに家康が布陣していたと思うと胸がアツくなります...
八剱神社・徳川家康本陣跡 / / / .
駐車場は無いのでご注意ください。
家康公の本陣。
石段に彫られている細かい溝が、丁寧な仕事で何か嬉しい気持ちになります。
大切に護ってきた証しです。
ありがっ様です。
⭐️1575年(天正5年)、「長篠城」救援のため織田信長と共に岡崎城から出撃した徳川家康が本陣構えた弾正山、連吾川を挟み武田軍を迎え撃つ、運命の一戦🐎⭐️織田・徳川連合軍の最右翼を担う徳川勢、面前には武田最強騎馬隊「赤備え」の山県昌景、内藤昌豊、原昌胤らが着陣、不思議なのは「馬防柵」の一番南側が徳川勢の辺りで無くなっている事、なので柵の無い大久保忠世・大須賀康高・榊原康政らの部隊に武田左翼騎馬隊集中して激しい突撃『竹広激戦地』、思いの外、徳川家康本陣が激戦地の最前線に近く驚き⚔️
ココに家康が布陣していたと思うと胸がアツくなります。
長篠設楽原合戦の史跡のひとつ。
徳川軍の本陣阯と伝わります。
とても静かな神社です。
天正3年(1575年)5月、徳川家康は武田軍に包囲された長篠城を救援す るため、織田信長と共に設楽が原に出陣し、弾正山に本陣をおいて、ここから東へ約300mの所を流れる「連吾川」を挟んで武田軍と対峙しました。
村の神社で整備はされていますが夏草が目立ちます。
田んぼの中にある家康公本陣跡。
裏には険しい山があります。
徳川家康公所縁の地です。
三方ヶ原での敗戦後に再び武田と合間見えた際、家康公は何と感じたのでしょう…。
名前 |
八剱神社・徳川家康本陣跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
駐車場は無いですが歴史的に価値のある神社です。