家康人生指折りの大失態である三方ヶ原の合戦に破れた...
日が落ちていたが、何故か日中に写したかの様に写ってくれた‼️
家康人生指折りの大失態である三方ヶ原の合戦に破れた退路を作り散った本多忠真の碑。
こういう忠臣があっての歴史である事を噛みしめたい。
本多忠真は徳川四天王の一人である本多忠勝の叔父にあたる武将。
三方原の戦いで武田軍に大敗した中、撤退に際 し殿を買って出て、39 歳をも ってこの地で討ち死にしたと伝えられています。
名前 |
本多肥後守忠真の碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
この辺りには三方ケ原の戦いで、家康の代わりに亡くなったとされる武将の慰霊碑がいくつかあります。
他に多くの方が説明されているので良いと思いますが、本多忠勝の叔父さんとされる本多忠真の慰霊碑です。
ここで亡くなったわけではありません。
この慰霊碑も、徳川家16代当主、徳川家達さんによって建てられました。
浜松市は、歴史的資料の保存に消極的で、あまり残っていませんが、家達さんのお陰で、昔のロマンを感じることができます。