家康の代わりに亡くなったとされる武将の慰霊碑がいく...
本多肥後守忠真の碑所在地 浜松市中区鹿谷町25-10訪問日 2023/9/13本多肥後守忠真(ほんだひごのかみただざね)は、本多平八郎忠勝の叔父にあたり、三方ヶ原の戦いで討死した武将の一人。
この石碑は、本多肥後守忠真の忠義を称え、第17代本多子爵によって明治24年(1891年)に建立された戦功碑です。
石碑には、本多家が代々松平家•徳川家に仕えたことや、本多忠真が数々の戦で功績を残したことが記されています。
この辺りには三方ケ原の戦いで、家康の代わりに亡くなったとされる武将の慰霊碑がいくつかあります。
他に多くの方が説明されているので良いと思いますが、本多忠勝の叔父さんとされる本多忠真の慰霊碑です。
ここで亡くなったわけではありません。
この慰霊碑も、徳川家16代当主、徳川家達さんによって建てられました。
浜松市は、歴史的資料の保存に消極的で、あまり残っていませんが、家達さんのお陰で、昔のロマンを感じることができます。
日が落ちていたが、何故か日中に写したかの様に写ってくれた‼️
家康人生指折りの大失態である三方ヶ原の合戦に破れた退路を作り散った本多忠真の碑。
こういう忠臣があっての歴史である事を噛みしめたい。
本多忠真は徳川四天王の一人である本多忠勝の叔父にあたる武将。
三方原の戦いで武田軍に大敗した中、撤退に際 し殿を買って出て、39 歳をも ってこの地で討ち死にしたと伝えられています。
名前 |
本多肥後守忠真の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
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