窯の位置と形がおおよそ分かります。
平安から鎌倉時代に作られたトンネル状の穴式の窯とのことで、穴の上部が石で塞がれており、窯の位置と形がおおよそ分かります。
内部は空洞のままなので、上部に乗ると落ちる危険があるため、ロープが張られています。
平安時代末期から鎌倉時代の窖窯(あながま)が2基並んでいます。
当時は山茶碗、小皿、壺、鉢などが焼かれていたそうです。
【ご注意】窯跡東にある急な砂利の坂道は滑って登れなくなるので、四駆の車以外は下らないように!
丘に登って行く道脇に有ります。
途中には窯跡の案内板が有ります。
丘の斜面を活用した登窯です。
保全の為に土嚢で窯跡を埋めて有ります。
かって陶器を焼いていた場所です。
アクセスは、史跡の南側にある国道42号線から行きやすいと思います。
国指定史跡です。
「どどすえきかまあと」と呼ぶそう。
渥美半島にはここ以外にも多数の窯跡があり、いずれも平安~鎌倉時代に稼働、その作品は「渥美古窯」と呼ばれてます。
有名なところでは、奈良東大寺の屋根瓦はここで焼かれたものだそう(鎌倉時代の再建時)。
しかし、現地は林の中におおよそ3m四方の亀の甲のようなこんもりとした膨らみと石が並んでいるだけ(それも復刻です)。
看板がなければとても国史跡とは見えません。
文化財の修理・活用に対する予算は年間420億円もあるというのに(文化庁HPより)、一体どう使われているのでしょうね。
平安時代から鎌倉時代にかけて使われた陶器の焼成炉跡です。
国指定史跡に指定されています。
貴重な史跡ですが細い道を奥に入って行くわかりづらい経路と駐車場が無いのが残念です。
名前 |
百々陶器窯跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.city.tahara.aichi.jp/kosodate/kyoikubunka/1001136/1001138.html |
評価 |
3.2 |
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平日夕方に訪問陶器生産をした跡地平安から鎌倉期にかけて陶器生産をしていた窯跡群の一つ傾斜地を利用しトンネル状の窖窯構造の窯跡国指定の史跡として指定されている近隣に駐車場などは無い見学する際には注意が必要だろう。