諏訪大社独特の社殿です。
古来から伝わる祭、御頭祭(おんとうさい)で本宮から運ばれた生贄が捧げられる儀式が行われる場所です。
諏訪大社の最有力神官の大祝家は平安時代後期から鎌倉時代にかけて領主化(武士化)しました。
祭政を統治するための政庁がこの十間廊に置かれていました。
人民からの貢納や進物を大祝家がここで査収したり、祭事には奉納される舞楽・舞踊などを楽しんだりしました。
大祝家は民衆に対しては諏訪大神の使いとして振る舞い、大神に対しては民衆の代表として供物や舞踊などの奉納を取り持ち(仲立ち)していました。
現人神とも呼ばれていました。
十間廊は成長だったので、廊の最上段(西側)に大祝当主が座し、その下側に家臣団が居並び、最下段(東側)に祭事の当番団が居並んで、祭りや儀式のさい舞楽などを眺めていたそうです。
十間廊の北側に高御子屋(神子屋)という舞殿があったと伝えられています。
そこで舞楽や舞踊が演じられました。
清掃(工事?)してたので、十分に見れず。
諏訪大社独特の社殿です。
手水舎より見ると下社、上社の中では1番長いです。
「諏訪大社上社前宮」境内にあって、国道152号線信号交差点「前宮前」から徒歩約3分(180m)の「十間廊(じっけんろう)」は、古く「神原廊(ごうばらろう)」と呼ばれ、諏訪の祭事・政治を取り扱う官衙の役割を果たしていたという。
貢物はここで「大祝(おおほうり/上社の頂点にたつ神職で、現人神として神体と同視され、強大な権力を握って君臨し、中世まで諏訪地方を支配していた。
)」に実見されたといい、「高神子屋(たかみこや)」での舞を観ながらの宴にあっても、上段に「大祝」の座、以下「家老」「奉行」「五官」(上社五官は「神長官/じんちょうかん」「禰宜大夫/ねぎだゆう」「権祝/ごんのほうり」「擬祝/ぎのほうり」「副祝/そいのほうり」で氏族の世襲だった)の座、下座に「御頭郷役人」などの座でおこなわれたと伝わる。
現在でも、4月15日の農作物豊穣を祈る「大御立座神事」とも「酉の祭」とも言われる特殊神饌の「御頭祭(おんとうさい)」(現在は剥製だが鹿の頭七十五頭が献じられ、鳥獣魚類なども供えられる。
)は、「本宮」での神事執行後、神輿行列を仕立てて「前宮」に赴き、この「十間廊」で古式による祭典がおこなわれている。
1843(天保14)年に改築、1939(昭和14)年に修築されたが、1957(昭和32)年3月22日類焼により焼失しているという。
古くは「神原廊」と呼ばれ、中世まで諏訪祭政の行われた政庁の場で、すべての貢物はこの廊上で大祝の実見に供された。
毎年四月十五日の「酉の祭」には鹿の頭七十五がそなえられたが、これらの鹿の中には必ず耳の裂けた鹿が入っていることから諏訪の七不思議の一つにかぞえられた。
上段に大祝の座、つぎに家老、奉行、五官の座があり、下座に御頭郷役人などの座も定められ、左手の「高神子屋」で演ぜられる舞いを見ながら宴をはった。
ここがかつての諏訪の中心的な場所であったと考えると感慨深いものがあります。
名前 |
十間廊 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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かつて諏訪大社の神事のほとんどが十間廊で執り行われていました^ ^人神様とされていた御祭神の末裔の大祝(諏訪氏)と神長官の守矢氏をはじめとする神職が並び氏子たちが参列したことでしょう^ ^