喜多院前の歴史感じる小さな神社。
仙波日枝神社の特徴
仙波日枝神社は喜多院の目の前にあり、立地が抜群です。
川越市にある小さな神社で、赤坂日枝神社の本社とのことです。
御朱印は賽銭箱横にあり、300円で書置きを受け取れます。
この地から溜池山王の日枝神社に分祀したとのこと。
古墳にある神社で喜多院とは違い、静かで落ち着くところです。
日枝神社は、慈覚大師円化が無量寿寺(中院・喜多院)を中興する際に、近江国坂本(滋賀県大津市)の日吉社(日吉大社)を勧請したといいます。
本殿は朱塗の三間社流造で、銅板葺の屋根に千木、堅魚木を飾ります。
三間社としては規模が小さく、架構も簡素です。
身舎の組物は出三斗ですが、背面中央の柱二本は頭貫の上まで延び、組物は大斗肘木になっています。
中備は置きません。
妻飾は虹梁大瓶束であっさりとしています。
縁を正面だけにもうけ、側面と背面にはまわさず、正面緑の両端のおさまりは縁板を切り落としただけの中途半端なもので、高欄や脇障子をもうけないため簡易な建築に見えます。
庇は切面取の角柱を虹染型頭費でつないで両端に木鼻を付け、連三斗・出三斗を組んで中央間だけに中備墓股を飾ります。
ただし、この蒙股は弘化四年(一八四七)頃、修理工事の折に追加されたものといいます。
身舎と庇のつなぎは、両端通りに繋虹梁を架け、中の二通りに手挟を置きます。
本殿の建立年代について、それを明確にする史料はありませんが、構造の主要部分は近世初頭の技法によりながら、装飾意匠の一部に室町時代末期頃の様式をとどめ、また、中央の保守的伝統的な技法によらない地方的な技法も見うけられます。
虹梁に絵様をほどこさず袖切・弓眉だけとする点、庇木鼻の形状と正円に近い渦の絵様、実肘木の絵様、手挟のおおまかな刳形、などは室町末期の様式です。
また、正面の縁のおさまり、大棟上に飾棟木をもうけず直接千木・堅魚木を載せる点、背面の組物だけを大斗肘木とする点、組物の枠肘木と実肘木が同じ断面寸法でかつ背と幅が同一な点、巻斗の配置が六支掛の垂木配置と関係なく決定されている点、などは地方的技法といえます。
とくに枠肘木・実肘木の断面寸法、垂木割にかかわらない巻斗の配置は珍しく、幕府作事方に収斂される中央の木割法とは異なる設計システムが存在したことを推測させます。
喜多院は慶長十七年(一六一二)頃に再興されており、日枝神社本殿もその一環として造営された可能性もありますが、それ以前に地方工匠の手によって建造された可能性も残されています。
喜多院の前にある神社。
古墳のあった場所に造った神社ということ。
なんとも言えないが、御朱印を頂きました。
喜多院の門前に位置する由緒正しい神社です。
神職の駐在はありませんが賽銭箱横に御朱印がセルフで置いてあり300円でした。
喜多院と併せて参拝しました。
川越八幡宮さんの兼務社川越喜多院の前の道を渡った目の前です。
御朱印はお賽銭箱の横に…日付は川越八幡宮さんで入れていただけます。
千代田区の日枝神社の本社です、これって凄い事だと思います。
喜多院参拝後寄らせて頂きました。
小さな神社ですが、赤坂日枝神社はこちらの分祀で、とても由緒ある事を知りました。
御朱印は賽銭箱の横に置いてあり、300円を入れるシステムでした。
コンパクトで派手さはありませんが赤坂にある日枝神社の本社はこちらだそうです。
御朱印はお賽銭箱の隣にプラボックスにありました。
日付は自書くださいませ🤗
東京赤坂日枝神社の本社のようです。
社格は旧県社。
もともと喜多院(川越大師)の境内にあったが、大正時代に現在の喜多院門前に移転しました。
社務所はありますが、無人です。
拝殿賽銭箱の左側に書置き御朱印があります。
初穂料¥300は賽銭箱に。
中尊寺や浅草寺など多くのお寺を開山したり再興した慈覚大師円仁が、喜多院を中興する際に日吉大社を勧請したと言われており、赤坂にある日枝神社の本社にあたる神社です。
御朱印は書置きのもの(日付がブランクになっています)が缶の中に入れられており、初穂料は賽銭箱に納める形でいただくことができます。
本川越駅からだと徒歩で1kmほどの場所にあり、巡回バスなどの利用や、車の場合は喜多院のところにある有料駐車場に停めるのがよさそうです。
この日枝神社も雰囲気あります。
社格は高い神社なのですが社殿と手水舎くらいしか無く社務所も開いていないので、多くの人は喜多院のついでに参拝している感じと思われます。
赤坂日枝神社の本社だそうですが…小さな神社でした御朱印は賽銭箱の隣に書き置きが置かれています300円賽銭箱に入れて拝受します(無人なのでもちろん防犯カメラも設置されています)
喜多院の前にある神社。
もとは喜多院境内にあったそうですが、県道造成時に当地に移転されたとのことです。
見た目はこじんまりしていますが、本殿は国の重要文化財に指定されているなど歴史深い神社です。
赤坂にある立派な日枝神社も元々はこちらから分祀されたそうです。
ちなみに本殿横のこんもりした部分は古墳です。
この上に登ると本殿が見えます。
喜多院の迎えにある神社。
交通安全を祈願しました。
仙波日枝神社。
社殿は三間社流造。
説明書きがあるが御祭神の記載は無い。
大山咋神を祀る。
赤坂日枝神社の本社との事。
赤坂と比べるとかなりこじんまりとしてるが、空気感は良い。
道路をはさんで喜多院のとなりにある小さな神社です。
わざわざ行くほどのものではありませんが、境内はよく手入れされていて本殿は国重文です。
喜多院に参拝して、時間に余裕があればどうぞ。
喜多院のお隣にある小さな神社しかし歴史のある素敵な神社御朱印は、お賽銭箱の横に置いてあり、300円をお賽銭箱に入れるシステム。
目立たない神社で、拝殿は普通ですが、裏に回り本殿を垣間見ると 歴史を感じます。
規模は小さいものの、綺麗で清潔な神社という印象です!
すぐそばの喜多院と成田山のツートップに隠れて、正月なのにひっそりとしている穴場的スポットです。
書置きの御朱印を1種類頂きました。
御朱印は賽銭箱となりの缶の中にあり、御朱印代は200円を賽銭箱に入れ、セルフで頂けます。
(17/12/14)御朱印(書置き:200円)をいただきました。
拝殿のところに置いてありました。
御祭神 大山咋神(おおやまくいのかみ) 大己貴命(おおくにぬし)旧社格:県社無人の神社。
慈覚大師が喜多院を創建したおりに近江坂本の日吉大社を勧請したもの。
東京赤坂の日枝神社(旧官幣大社)は太田道灌が江戸城築城の際にここから分祀したもの。
巡回バスの最寄:喜多院バス停。
由緒ある神社なのだからもっとキレイに管理して欲しいと思いました。
御朱印は無人のためか賽銭箱横のカンの中。
殆どの人達は喜多院へ行ってしまうの参拝時は独り占め出来ますよ。
(^^)
赤坂の日枝神社の本殿とは書いているものの、人気(ひとけ)はあまりない小さな神社。
無人の神社。
境内がかなり狭いが、手水舎、鳥居、拝殿はとても立派。
御朱印は200円で、お賽銭箱にお金を入れて、御朱印が入っている箱から1枚もらっていくようになっている。
そして自分で日付を書くようになっている。
喜多院のすぐそばにある。
普段は人が居ませんが、古墳があるようです。
三間社流造の本殿は、拝殿の奥に鎮座されているため、拝観できまでんでした。
喜多院の近くですので、喜多院と一緒にお詣りされると良いです。
国指定重要文化財=日枝神社本殿・附宮殿(昭和25年8月29日)、市指定史跡(昭和33年3月6日) 日枝神社古墳・喜多院七不思議「底なしの穴」があります。
名前 |
仙波日枝神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
周辺のオススメ

仙波日枝神社、川越日枝神社とも称す。
旧社格は県社。
資料によると、もともと喜多院の境内にあったが、県道建設のため大正時代に仙波古墳群の日枝神社古墳(多宝塔古墳)という前方後円墳の一部を削平して喜多院門前に移転した。
円仁(慈覚大師)が喜多院を創建(天長7年・830年)したおりに、その鎮守として貞観2年(860年)に坂本の日吉大社を勧請したものであるといわれている。
東京赤坂の日枝神社(旧官幣大社)は、文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城の際に、この川越日枝神社から分祀したものである(赤坂日枝神社もそう記述している)。
とあります。
主祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)、大己貴命(おおくにぬし)。