静かで歴史を感じる参道があります。
彌伽宜神社 (大森神社) / / / .
彌加宜神社(みかげじんじゃ)は京都府舞鶴市の東部。
京都府舞鶴市森の白鳥通り沿いの住宅地の鎮守の森に鎮座する神社です。
ご祭神天御影命(アメノミカゲノミコト)社格式内社旧郷社広い境内には、枯木堂、一の鳥居、長い参道、境内社(八代神社、鹿島香取神社、三安神社、出雲神社、春光稲荷神社、若宮稲荷神社、麒麟稲荷神社、水神社、須佐神社)、手水舎、石標、二の鳥居、駆逐艦「菊月」の砲身、狛犬、灯篭、案内板、拝殿、本殿などがあります。
通称の大森神社または大森さんの名で地域の人から親しまれている舞鶴を代表する神社の一社です。
両部鳥居の一の鳥居には「正一位大森大明神」と記された扁額が掛かっており、社号石標には「郷社彌伽宜神社」と刻まれております。
地元の『蛇切岩』伝説にも登場する神社で、故地はミカゲ谷と言われていた現在の椿谷との説があります。
社殿左脇には杜清水という御霊水をいただける場所が設けられ、この御霊水をいただくと「長寿・幸運」を授かるそうです。
例大祭が毎年7月14日15日に行われ多くの人出で賑わいます。
以下は境内の案内板を転記「彌加宜神社(大森神社)」御祭神主祭神、天之御影命(あめのみかげのみこと)相殿、わ誉田別命(ほんだわけのみこと)由緒当神社は平安時代中期にされた「延喜式神名帳」に載る式内社です。
正一位大森大明神正八幡宮とも称し、一般には「大森さん」と呼ばれ親しまれています。社伝によれば、鉄の措置を作り始められた金治の祖、手工業、産業の祖とも云える天之御命を御祭神とし。
古く十代崇神天皇十一年、葉山に恨むを討ち、丹波を平定した道主命により地に祀られたと伝えられます。
御祭神天之御影争は命の母(息長水依比売)方の祖父にあたります。
境内には二所の神泉池があり、みかげの森の「社清水」と呼ばれています。
神殿(享年間大修理)床下に湧出しており長寿を授かる「延齢泉」と云われます。
参道は白鳥街道から本殿まで二百三十米有り、古くは細川忠興寄進と云われるの一の鳥居(赤い鳥居)の所から社地の南約十町の所にある堂田神社(八反田南町)まで両側に並木のある幅八間の馬場参道が延びていて、在地武力集団の訓練に流鏑馬などが行われていたようです。
例祭(七月十四日)には大正時代まで若衆による太刀振り、相撲、人形浄瑠璃等が奉納されていたとの記録があります。
尚、地元の森行永宮衆による「猩々」の伝承太鼓は今なお継承され奉納されています。
平安時代末期、鳥羽天皇第二皇女の女官、小宰相の局(当代一の美女)が平通盛卿(平清盛の甥、越前三位)と結婚後も長く子がなく憂いておられたところ、通盛郷、幼少時ゆかりの丹後之国森村のご当社ご神威を思い起こされ丹誠こめて祈願された。
結果めでたく懐妊され御礼に参拝をされたと言います。
御祭神の新しいものを生み出す力、ご神徳の高さを今に伝えています。
境内社と御祭神八代神社(例祭、九月十三日)須佐之男命と天照大御神の五男三女、武甕槌大神、経津主大神鹿島香取神社三安神社(例祭、十月の日曜日)天照大御神出雲神社、大国主命光稲荷神社、大宮能売大神若宮稲荷神社、保食大神麒麟稲荷神社(例祭十一月十一日)宇迦之御魂神水神社、罔象女神須佐神社、須佐之男命「民話 蛇切岩伝說」昔、倉梯村多門院の黒部に、「おまつ」「おしも」という美しい姉妹がいた。
ある日、姉の「おまつ」は、草刈りに出かけた与保呂の奥山にある池のほとりで、美しい若者に出逢った。
互いにひかれた二人は末のちぎりを交わした。
それとは知らぬ親から、縁を迫られる「おまつ」やがて二人の間を妹の「おしも」に知られてしまい、行く末をはかなんだ「おまつ」は、池の中に身を投げ、大蛇に姿を変えた。何日かたつと、池の主の大蛇が、村人達に危害を加えることが多くなった。
そこで村を守るため大蛇を退治する相談をした。
この時、ひとりの男が大蛇退治に名乗りを上げモグサで大きな牛の形を作り、火をつけて他の中に投げ込んだ。これをひと飲みにした大蛇は、おなかの中で燃え広がるモグサに苦しみ、のたうちまわった。
大蛇は、にわかに降り出した大雨で、洪水となった池の水に流された。
そして、下流にあった大きな岩に激突し、たちまち体が三つに切れてしまった。
祟り(たたり)をおそれた村人は、三つに切れた「おまつ」の化身である大蛇の頭を与保呂の「日尾池姫神社」を行の「うたの宮」、尻尾をここ「大森神社(弥加宜神社)」に祀った。
そして、大蛇が三つに切れた岩を「蛇切岩」と名付けた。
古来より伝えられてきた川に対する畏敬と五穀豊穣を祈る貴重な民話である。平成二十三年三月二十九日じゃきりいわの会「杜清水 由緒」当社の御霊水は丹後風土記に「弥加宜社は往昔、丹波道主命の祭り給う所にして社中に霊水有り世に森清水と号す」と記載されて居り一般に稱せられて居ります杜清水の中心であります。
往昔より延齢泉とも稱し(延享四年本社再建記に記載)長命を授かる御霊水として尊ばれて居ります。
尚、崇神天皇の御代(今から二千有餘年前)に四道将軍の一将丹波道主命が当社御祭神天御影大神をこの霊水の上に鎮斎された当社由来については木造建築である我国神社建築様式としては水神以外には殆んどその例無く神社としては異例中の異例であり格別の由来がある事と思いますが遺憾ながら詳細不明であります。
「加宜神社 祭神」天之御影命誉田別命二柱加宜神社は一般には大森神社と呼ばれる。
延喜式内社とされ、旧は郷社であった。
主祭神は天御影命(あめのみかげのみこと)、相殿に八幡神(はちまんしん)を祀る。
天御影命は、刀鍛冶の祖神とされている。
八幡神は、誉田別命(ほむだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされる。
境内にお祀りしている神社①八代(はったい)神社須佐之男命(すさのおのみこと)と天照大御神(あまてらすおおみかみ)の五男三女神須佐之男命(すさのおのみこと)と皇室の祖神で日本国民の総氏神とされる天照大御神(あまてらすおおみかみ)の間に生まれた五男三女神の荒典をお祀りしている。
八代荒神さんと呼んでおり、荒神は火の神、(かまど)と云われる。
9月13日に例祭を執り行う。
②鹿島(かしま)香取(かとり)神社武大神(たけみかづちのおおかみ)、経主大神(ふつぬしのおおかみ)鹿島神社で祀る武槌大神(たけみかづちのおおかみ)は、日本神話に登場する神で、雷神かつ剣の神とされ、相撲の元祖ともされる神である。
香取神社で祀る経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、諸説があるが刀剣の威力を神格化した神とされている。
両神とも関係が深いとして、対で扱われる事が多い。
③三安(みやす)神社天照大御神(あまてらすおおみかみ)行水の旧舞鶴海軍病院の守護神として伊勢神宮から天照大御神の御霊を勧請し昭和18年5月に鎮座した神社であったが、終戦後当神社内に移転した。
毎年10月に三安会等により秋祭りを執り行う。
④出雲(いずも)神社大国主命(おおくにぬしのみこと)「古事記」「日本書紀」に登場する日本神話の神である。
国津神(くにつかみ)の代表的な神で天孫降臨で天津神に国士を献上したことから「国譲りの神」とも呼ばれる。
出雲大社の祭神国造りの神、農業神、商業神、医療神などとして信仰されている。
また、縁結びの神としても知られる。
⑤森光(もりみつ)稲荷神社大宮能売大神(おおみやのめのかみ)百貨店の神として知られ、市場の産業に繁栄をもたらす市の守り神として仰されている。
⑥若宮(わかみや)稲荷神社保食神(うけもちのおおかみ)「日本書紀」の五起源神話に登場する食の神である。
農業・漁業の守浅神でもある。
⑦麒麟(きりん)稲荷神社宇迦之御魂神(うたのみたまのかみ)稲荷神として馴染みの神で、一般に商工漢方面に霊威を発揮する神として信仰されている。
旧キリンビバレッジ舞鶴工場に祀られていたが、工場移転に伴い当神社に平成25年11月11日に移転され祀られている。
⑧水(みず)神社象女神(みつはのめのかみ)水の神である。
⑨須佐(すさ)神社須佐之男命(すさのおのみこと)日本書紀に登場する神で、伊弉(伊邪那岐命・いざなぎ)(伊邪那美命いざなみ)の間に産まれ天照・月読・蛯児の次に当たる。
(2021/12/18撮影)
西舞鶴から東舞鶴へ抜ける府道28号線(白鳥街道)沿いあります丹後国加佐郡の式内社の1つですその入ったとこの鳥居の前にも駐車スペースがありました参道のところにも駐車場(無料)がありましたが、それは鳥居側からでなく、別のところから入ることになるようでした参道は割りと長く、青紅葉が綺麗でしたその参道沿いや本殿周りに境内社が点在しています本殿近くの鳥居入ったとこには、駆逐艦・菊月の砲身が撃沈したソロモンから引き揚げられ奉納されていますこちらは民話蛇切岩伝説という話の関連場所の1つともなっていますそれに関する石碑もありました本殿裏には池もあり、非常に和める雰囲気の神社ですなお、御朱印もあり、この辺りでは頂ける可能性の高いとこの1つになると思います。
非常に古い歴史を持つ神社であるらしい。
延喜式神名帳に名前を残す古社である、という以上に、もっと古代からのこの土地の歴史を刻み込む神社。
御祭神は天御影命といい、あの名神高速道路を走ると滋賀県野洲あたりで見えて来る姿のいい山、「近江富士」として有名な三上山に降臨したという神さま。
この神さまは「製鉄の神さま」であり、もちろん製鉄の技術は朝鮮半島や大陸から渡来した当時最先端のテクノロジーであって近江は渡来人によって古代に開拓が進んだ土地。
その渡来人たちが崇めたであろう神さまがこの土地に祀られているなら、それを崇める集団がこの地にいたのかもしれない。
森の中の荘厳な雰囲気の神社、たまたま居合の奉納を見ました。
鉄の神様とのことで大砲が、境内に鎮座されていました。
湧き水も頂いてみました。
美味しい冷泉でした。
ソロモン諸島で座礁した(現在は大部分は水面下)睦月型駆逐艦菊水の第四砲身が奉納されております。
いつか行きたいですね。
彌伽宜(みかげ)神社御祭神 天御影命 誉田別大神境内社 須佐見神社 素箋鳴命 大己貴命水神社 美津波能賣命若宮稲荷神社 保食神森光稲荷神社 大宮網賣命縁結神社 大国主命三安神社 天照大神鹿島神社 武甕槌命境内には駆逐艦菊水の第4砲身が展示されています。
三安神社は、旧舞鶴海軍病院の守護神として歓請されましたが、戦後米軍から撤去を命じられました。
禰伽宜神社の宮司さんや関係者の方々の努力により彌伽宜神社の境内にお祀りされています。
蛇切岩伝説も伝えられています。
6月27日に菊月保存会により、駆逐艦菊月の四番砲塔の砲身の設置と式典が執り行われました。
元々あった防護巡洋艦春日の砲身は金属供出で無くなり、その後に護衛艦砲身の設置の話が諸事情で流れて空いていた台座。
そこに保存会や多くの方の尽力により、舞鶴で建造された菊月が、ソロモン諸島から80年近く経ってからここに収まった事を宮司さんは奇跡だと仰っていました。
実際不思議なくらい、設置された砲身は両脇の木の間に、額縁に収まった絵画のように綺麗に収まっている。
経緯やこの収まり具合を見てしまうと、何か不思議なご縁が奇跡を起こしたのかもと思えてしまいますね。
あと菊月のお札を扱っているので、気になった方は手に取ってみてはいかがでしょう。
駆逐艦 菊月の砲身が安置されております。
舞鶴では結構大きくて有名な神社だと思います。
と言いますのも元旦の初詣には、どこからこれだけの人が集まったの?と思う程の人で溢れかえります。
神社の前から端までの距離は、500メートルぐらいあると思いますが、行列は、神社の端まで繋がる事もあります。
私は、持っていませんが、お守り等も種類が色々あり、ご利益がありそうです。
御朱印頂きました。
敷地はそれほど広くありませんが、街中にあるのに静音で落ち着く神社です。
静かで歴史を感じる参道があります。
訪れた夕方には、キツツキが木をつつく音が静かな境内に響いていました。
湧水はまろやかな口当たりです。
静かで歴史を感じる参道があります。
訪れた夕方には、キツツキが木をつつく音が静かな境内に響いていました。
湧水はまろやかな口当たりです。
名前 |
彌伽宜神社 (大森神社) |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0773-62-5462 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
周辺のオススメ
![](./loading.gif)
彌伽宜神社、京都府舞鶴市森。
みかげのやしろ。
通称~大森神社。
主祭神=天御影大神(天目一箇命・丹波道主命の母方祖父)、誉田別大神。
丹波道主命が祀る。
境内社=八代、鹿島・香取、三安、出雲(縁結)、森光稲荷、若宮稲荷、水、須佐。
蛇切岩伝説。
娘が蛇に。
駆逐艦菊月の砲身も。
境内は縦に長く、参道が駐車場になる文化。
横からも出入りができ、手狭だが、縦に並んで建物が続く。
裏手に池、蛇伝説に想いを馳せる。
本殿を前に左手、霊水あり。