木曽義仲が平氏追討の挙兵をした場所です。
長野県木曽町、旧日義村の木曽義仲挙兵の地にある八幡宮。
木曽義仲居館跡もすぐ近く。
境内のケヤキ2本が歴史の長さを示す。
木曽義仲公はまさにこの地域の英雄傑物。
義仲公が歴史の表舞台に登場する契機となる場所がこちらです。
昔の当時は平氏打倒の熱気に溢れた武者が集った場所なのでしょうが、現代の今では人の気配が少ない静かな場所です。
しかしながらそれ故に歴史情緒に浸るには良い環境でしょう。
少し歩くと視界が開けて山間の里がよく見えます。
信州サンセットポイントのひとつである旨の案内板があります。
自分なりに当時の風景や状況を空想して歴史情緒を感じながらしばし時を過ごされてはいかがでしょうか。
木曽義仲公が旗揚げした所で、有名だそうです。
八幡宮の敷地内には館跡が残されています。
トイレと小さな駐車場が有りました。
近くの国道19号線にも駐車場は有ります。
木曽義仲縁の神社です。
近くの南宮神社から約600mと案内板に有りましたが、国道を跨ぐので分かりにくかったです。
国道端に駐車場があるみたいですが、これも分かりにくかったです。
木曽谷の景色が良かったです😊
立身出世の御利益がある旗挙八幡宮樹齢800年余の御神木がのこります。
平家打倒の旗揚げをした時、義仲は27歳でした。
当時、京の都では平家が独裁政治を続け、「平家にあらずんば人であらず」と言わしめたほどです。
そんな中、1180年、以仁王(もちひとのおう)より平家追討の令旨(りょうじ)が発令されます。
木曽の山奥に住んでいた義仲も呼応。
この、信濃の国にて挙兵します。
平家打倒に集まった臣下1000余騎この社に参拝した後、信濃国・上野国(現在の群馬県)へ兵を進めていきます。
横田河原(現在の長野県長野市)では平家の大軍を撃破し、越後(現在の新潟県)の国府に入ります。
1183年の源平倶利伽羅合戦(げんぺいくりからかっせん)でも平清盛、後継者の平宗盛(むねもり)に智略をつくし、大勝利した義仲は、1183年7月に義仲は無血で京の都へと入ります。
後白河法皇より「朝日将軍」の称号を受け征夷大将軍に任命され、ついに武士の頂点までのぼりつめました。
義仲公は、信心深く、戦の前には各地の神社に参拝し、祝詞をあげています。
このあたりの平地に城をかまえた際も八幡宮を祭ったと伝えられこの「旗揚げ八幡宮」は、いまでも立身出世の御利益のある場所として親しまれています。
毎年8月14日この神社で神事の後に義仲公を偲び「義仲旗揚際」が行われ、山腹では木の字焼が催され、街中では義仲松明行列が練り歩き、花火大会も行われるとのこと。
私たちも、向かいのお蕎麦屋さんで食事中に窓から、この神社が見えつい立ち寄ってしましました。
小さな社ですが、手入れが行き届いた良い神社です。
木曽義仲が挙兵のとき植えた欅の木が、800年を過ぎての姿に涙する。
義仲は、この地に還ることはなかったが、名は滅することはなく、地元に愛されている。
それにつけても風雪に耐えたこの木は見事だ。
長野県木曽郡木曽町の木曽義仲館跡にある旗挙八幡宮と呼ばれる神社。
木曽義仲は、この地に館を構えた際に八幡宮を祀ったと伝えられ、治承4年(1180年)には、この地で平家打倒の挙兵をしたと伝えられています。
木曽義仲が平氏追討の挙兵をした場所です。
木曽義仲公ゆかりの大欅がある小さな神社です。
名前 |
旗挙八幡宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
木曽義仲の史跡巡りで立ち寄りました。
大きな欅の木があり、御神木になっています。
小さなお宮ですが、駐車場や綺麗なトイレが完備しています。