下總國葛餝郡 茂呂神社 式内論社の1つ。
恵方参りに来ました。
とても雰囲気の良い神社でした。
願いがかなったら必ずまたお礼に参拝に行きます。
閑静な住宅地に鎮座します。
茂侶神社は木花咲耶姫命が御祭神です。
茂侶浅間神社とも呼ばれる。
社殿の神紋は、静岡の浅間神社と同じ神紋の棕櫚葉。
細長い参道は木々が整備されています。
石段はガタ付きがあるので注意して歩く事をおすすめします。
人が居ないのでゆっくり拝観出来ます。
参道に面した家が数軒あり、空気が綺麗な所で羨ましいと感じる反面、荷物の出し入れは、車が入って行けないので不便さも感じました。
本神社は駐車場はありません。
東船橋の産土神だけあり、1600年以上前には創建されていたそうです。
由緒や年期も有る神社ですが、なにか寂しい。
住宅街の真ん中に有る、他の神社は子供の遊び場や公民館など併設されております、人の気配がありますが、ここには全くない。
本来の神社とはこんなものでしょうが、物音もほとんど無く、寂しい印象でした。
住宅街の中にぽつんとある由緒ある神社のようですが、寂れてしまっています。
ただしキチンと手入れはされています。
写真はないですが、小さな神社にしては手入れが行き届いていて良い神社だと思います。
『延喜式』に載っているという割には、ひっそりした感じである。
帰ってから同書を当たってみたところ、たしかに意富比神社(船橋大神宮である)とともに、下総国葛飾郡の項に載っていた(松戸や流山にも比定される神社はあるようだが)。
読みは「モロ」ではなく、「モロノ」神社とふりがな付きであった。
脇参道には「仙元宮」(=浅間神社)があり、昔は富士山もよく見え、山岳信仰があったことがわかる。
社伝は、拝殿の軒下に、かなり雨風にさらされて、文字が薄くなったものが掲示されている。
慣れない人が一生懸命書いたであろう、ゴタゴタした文であるが、写真に撮って判読してみたので、原文ママにて全文引用しておきます。
「茂侶神社縁起当茂侶神社の起原は古く延喜式(数文字判読不能だが、文脈からして「神名(帳)に」だろう)下総国葛飾郡二座茂侶神社 意富比神社とあり今を去る千六十年前すでにこの地に鎮座されて居たのであります愛媛県越智郡瀬戸内海大三島祭神は阿多の豪族大山祗神の姫御子で日本の女性の表徴である木花開耶姫を祀り古来縁結び安産子育ての神として地元民の崇敬する処でありました摂社として祭神の姉命磐長姫を祀り小御岳神社と申して居ります三代実録に清和天皇の貞観十三年十一月十一日下総国従五位下茂侶神に従五位上を授くとありまた陽成天皇の元慶三年九月二十五日下総国正五位下茂侶神正五位上を授くとあります江戸名所図絵によれば年の始隔年この神域より柳営に根引の若松を撰び上納する(「を」?)例とすとあります(「古来」のような字が見えるが、消えすぎてあとは判読不能)」
地元に愛されている神社だと思います。
閑静な住宅街、宮本中学校と隣接した高台にある歴史ある神社です。
高台にあるため、参道から上るのは大変ですが、住宅街の道路を使うと車でも上れますが、駐車場はありません。
また、道幅が狭く路上駐車もできません。
境内には東船橋自治会館、神楽舞台等がありますが普段は無人です。
いい雰囲気です。
式内論社の茂侶神社の一社。
船橋大神宮の境外社。
年1でお祭りがあり地元ではその日だけはにぎわいます。
祀神は木花咲耶姫、摂社の小御嶽神社に姉命の磐長姫。
縁起を記した額に浅間大社ではなく、愛媛県の大山祇神社の名前があるので、大山祇神社から分祠されたのでしょうか?古代のロマンが広がります。
下總國葛餝郡 茂呂神社 式内論社の1つ。
名前 |
茂侶神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
鬱蒼とした、長い登りの参道が印象的です。