名前 |
泥ぶち観音 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.6 |
泥ぶち観音。
私は長年泥ぶち観音はどのような神様なのか、そこに関しての答えを追い求めてきました。
まず、不思議なこととして、何故か泥ぶち観音を参拝する方は、泥ぶちを行うのはユニークだ、と言っても、何故泥に覆われてなければいけないのか、そもそも御神体はどのような形なのか、そこに関して興味を持つ人は不思議と一人もいません。
いません、と断言してはいけないと思います、私が知らないだけかもしれません。
だけど、少なくとも私の知る限り、そのような疑問を抱く人に出会ったことはありません。
そこで私は考えました。
泥ぶち観音は、自身の本当の姿を見られたくない、または見せてはいけない。
泥ぶち行為に願いが叶うという幸福が訪れるという言い伝えは、少しでも多くの人間に泥ぶちをさせ、その姿を隠すことを続けなければいけない。
また泥ぶち観音は元々、田んぼから見つかったものと言います。
何故観音は発掘された次の日に田んぼに戻ったのか。
また田んぼから見つかった御神体を、何故また泥で隠す必要性があるのか。
また何故旅人は死んだのか。
そこの真相にたどり着いたとき、泥ぶち観音はただの願いを叶えてくれる良い神様なのか。
それとも、再び泥で隠さなければいけない、泥に埋もれなければいけない理由を持った訳アリの神様なのか。
ちなみに社に刻んである寛政25年とは存在しない年です。
何故存在しない年を記入しているのか。
近所にある不思議な存在の、何故そこにそうしてあるのかの理由を追求するのは面白いです。
泥ぶち観音に限らず、自分の近所のちょっとした神様も、由来を辿ると面白い発見につながるかもしれませんよ。