「神祠 氏房社、八幡社、土之御前社、山神」とある。
御祭神/建御石力神、応神天皇ほか3柱。
境内は氏子さん・宮守さんらにより綺麗に掃き清めら大切に管理されています。
地元出身の大相撲元幕下高嵐(本名伊藤春夫さん)の写真と当時の番付表が展示されています。
昭和59年(1984)9月29日病により48歳の若さで亡くなっています。
近くを流れる蛍川(宮川)の活動を紹介する看板がありましたので、添付いたします。
名前 |
川合神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63255 |
評価 |
3.0 |
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『明治五年(一八七ニ)の村明細帳』に、「神祠 氏房社、八幡社、土之御前社、山神」とある。
「員弁雑誌」には「氏房大明神 村の産土神也、例祭九月一二日。
諏訪八幡宮 字村中。
山神 祠なし森四ケ所にあり」とある。
『員弁郡郷土資料』では、「村社川合神社 祭神は建御名方命及び品陀別天皇にして、御鎮座の年月不詳なり、当地の住民は 古来概して尚武の気性に富み、剛健なる資質を具ふるを以て、勢ひ崇神上にも武徳に勝れさせ給ふ神々を尊信敬拝するの風あり、されば諏訪明神の如きは武徳に富ませ給へるを以て、何時となく鎮祀して産土神としたる由古老の口碑に存す。
次に品陀別天皇を祀るに至りしは、元亀、天正の頃郷土杉島籠之助といへるもの、字馬籠に居城して村内に八幡社を勧請し、己が武運の栄えんこを祈りつつありしが、故ありて退去せしかば村民その社の荒廃するを惜み、諏訪神社と併せて奉祀するに至れり、これ即ち現今の川合神社なり。
当社はもと川合諏訪神社、川合八幡社と称せり、(以下略)」とある。
又、同資料に、氏房社について「伊邪那美命 もと大字川合字向沢にあり、永禄年中(一五五八~七〇)村民小寺某濃州養老郡和田川原に於て拾得し、之を供奉して帰り、小祠を建て小寺氏一族の氏神として鎮祠せるものなり云々」とある。