名前 |
雨森観音寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
この村の氏神様の天川命(建速産霊神)が降臨した地として「天が降りる里:(天降里)」と書いて「あまもりのさと」と称し、後に雨森の字を当てたといわれていて別称で己高山観音寺(こだかみやまかんのんじ)とも呼ばれています。
中央の厨子に納められ祀られている御本尊の木造千手観世音菩薩立像は別名で「袋かけ観音」といわれ頭上で手を重ね阿弥陀如来坐像を載せているお姿(京都清水寺様式)に特徴があります。
左側の厨子内には伝辯財天坐像・薬師如来立像、右側の厨子内には小さな薬師如来坐像・不動明王立像(頭は螺髪)が安置されています。
湖北四家(赤尾氏・雨森氏・磯野氏・井口氏)の一つである雨森氏一族の菩提寺になります。
比叡山延暦寺の影響を受けており七堂伽藍を有する寺院であったとも伝わりますが、元亀元年(1570年)の姉川の合戦(織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍の合戦)で天台宗のお寺であったことから織田信長によって焼かれ廃塵と化してしまいました。
その後は里人により再建しますが明治十二年(1879年)に火災により焼失し観音様を尊ぶ里人は火災の翌年には比叡山に参って三尊像「木造十一面観世音菩薩像」・「木造毘沙門天像」・「木造不動明王像」を賜り再建を進め明治十四年(1881年)に無事落慶を迎えました。
この三尊の組み合わせは天台宗の典型的な姿になります。