小さいながらも石垣などが残っている。
櫓台、石垣、空堀などの遺構が残っています。
桜の時期に行くととても綺麗です。
石垣が立体的に残る山城跡で、織田信長に滅ぼされたそうです。
手前の広い平地は昭和59年に廃校になった西愛発小学校跡地、横にはJRの北陸本線が通っています。
ここまで車で上がってこれますが、細い法面の道なので脱輪に注意してください。
疋田会館に車を止めて、徒歩で上がってくることもできます。
疋田宿にある山城。
本丸、石垣、堀の遺構があり、本丸跡近くの北側には畑が作られてカリンの実がなっていました。
何度か行きましたが誰にも会わなかった静かな山城です。
すぐ側を北陸本線の電車が通過していきます。
冬に行くと足元がよく分かりません。
でも人がいないので撮影には向いてます。
踏切は冬期は通行できないみたいです。
久しぶりに新疋田駅迄歩いた。
途中、疋壇城跡へ、直ぐに天守台に、残された石垣も見事であった。
小さいながらも石垣などが残っている。
曲輪の形がしっかりわかり、素人の私でも面白かった。
見晴らしのよい場所にあり、湖西からの道、湖北からの道、嶺南からの道が合流する箇所を扼する位置にある。
主廓部分が殆ど畑となっているが、そのことがかえって古城であることを感じさせる。
二の丸部分が広いなと感じたが、かつて西愛発小学校があった場所らしい。
西愛発小学校は1984年に愛発小学校へ統合。
愛発小学校は2005年に中郷小学校へ統合され現在に至っている。
天守台からの眺めは三方が見渡せます。
南の神社側から行くより、北側から行くことをお薦めします。
旧街道沿いを抑えていたお城で、立派な遺構が残っています。
織田信長が金ヶ崎城を落とした時に攻め落としたとのことです。
そう思うと、もっとクローズアップをしてもいいかな。
行ってみて悪くないお城跡だと思います。
越前朝倉氏の近江方面の防衛拠点 石垣が残る。
破壊されている遺構は有りますが、本丸付近の石垣や空堀は良好に残っていました。
いやはや、なかなかどうしてどうして立派な城跡である。
全体を見渡すには30分ほどの所要時間をみておけばよかろう。
最寄駅のJR新疋田駅から徒歩約10分で城跡入口に着く、そこから石段を少し登ると早速広い曲輪。
その上の本丸跡、天守台に登るには立看板があるからすぐにわかる。
遺構としては、石垣、お濠、天守台、櫓台、虎口、池?などなど。
極端に整備されているわけではないが見易くはなっており、石垣の残存度が高い。
縄張図がないので全体像はよくわからんちーだが素人でも曲輪がわかりやすく十分堪能できる。
整備がふつーな分、何かしら生々しく、かつ、リアリティがある城跡だし、完全に整備がなされていないが故に全体的に廃墟感、虚無感、頽廃的かつデカダンス的な要素が感じられ個人的には好きな城跡。
是非ともタイムスリップしたようなココ疋壇城跡を楽しみたまえよ。
ちなみに車の方は1台なら登城口付近に停めれるかも、しかしオススメはできない(道が狭いし、そもそも駐車して良いのかもわからんちー)ので自己責任で。
日吉神社の左手の道を登ると堀と本丸の石垣が右手に見えます。
進むと二の丸に説明看板と碑、線路近くまでゆくと天主台への登り口があり、天主台に上がれます。
本丸と天主台の石垣や堀が遺されており、見どころがあります。
城域は広くないと思いきや周辺を歩いてみると、埋もれている石垣が結構有りそう。
疋田の地は、柳ヶ瀬越・塩津越・梅津越といった越前と近江を結ぶ道が集まる交通・軍事上の要衝であり、越前の最南端における防御拠点としての役割を果たしていました。
信長の朝倉侵攻時に落城しています。
城は本丸とその周囲の堀と石垣が残るくらいですが、南城と呼ばれていた曲輪には小学校が建てられていたせいもあり遺構は消失しているので良く残っていると言って良いでしょう。
本丸跡は畑になっていますけど。
石垣が残っている程度です。
小さいながらも石垣などが残っている。
曲輪の形がしっかりわかり、素人の私でも面白かった。
見晴らしのよい場所にあり、湖西からの道、湖北からの道、嶺南からの道が合流する箇所を扼する位置にある。
主廓部分が殆ど畑となっているが、かえって古城であることを感じさせる。
二の丸部分が広いなと感じたが、かつて西愛発小学校があった場所らしい。
西愛発小学校は1984年に愛発小学校へ統合。
愛発小学校は2005年に中郷小学校へ統合され現在に至っている。
「本丸が畑。
だが、意外に残る雰囲気」疋壇城址。
かつて奈良時代には愛発(あらち)の関が置かれたといわれる土地にある城。
愛発関は個人的にはここと、若狭との国境の関という地を合わせた複合防御施設だったと考えるが、いずれにせよ、ここが要衝の地であったことに変わりはない。
城自体は朝倉氏時代に築かれたとあるが、朝倉の城の特徴である竪堀(たてぼり)などはまったくわからなかった。
それほどの山城という比高でもないからか。
現在、城址として残っているのは、本丸部分だけ。
しかも、ほとんどが畑として利用されていて、それはそれで面白い風景を見せてくれる。
本当に不要ならもっと破壊されるものだし、地元の人との関係を垣間見るよすがともいえる。
名前 |
疋壇城 |
---|---|
ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.8 |
朝倉氏の城の1つです。
信長により滅ぼされています。
一時期、朝倉義景も入城した記録が有ります。
ほぼほぼ、当時の面影が保たれていて素晴らしいです。
信長に侵略されながら、破きゃくの跡が少ないのが興奮しました。
周りの空堀も試し放題です。
石垣は、大切にしないとダメですがね。