江戸時代まで歴代の天台座主を務めた法親王がお住まい...
天海大僧正(慈眼大師)が都の法勝寺を下賜され創建、江戸時代まで歴代の天台座主を務めた法親王がお住まいになられた。
中では天海僧正のお使いになった紙製の武具など、様々なものを展示してある。
とても素敵なお屋敷でした。
歴史と格式とでも言いますか、近寄り難さを感じる比叡山の門前町坂本にあって、その垣根の低さがとても親しみやすい寺院です。
里坊の町を散策するのに入門編としても、見識深めるのにもうってつけのおすすめ門跡寺院です。
延暦寺の里房で天海僧正ゆかりのお寺。
中も庭も素晴らしく、御朱印もいただけました。
庭にかりんの木があり、初めて実がなっているのを見ました。
元和元年 天海大僧正が移築·再建し、境域は約1万坪の敷地があり、勅使門、内仏殿、宸殿、二階書院、庫裡、台所、運用門と立派な庭園から成っており、地元では滋賀院御殿と読んでるそうです。
狩野派の襖絵、渡辺了慶作の障壁画など見所満載でした。
江戸末期までは天台座主と為った法親王の代々の御座所であった門跡です。
駐車場は共用のところに止めて、ゆっくり歩きました。
雨でしたが、中をゆっくりお参りさせて頂きました。
御朱印も頂きありがとうございます。
小堀遠州の作庭が素晴らしい。
天台座主の御座もまるで帝の御座で感慨深い。
日本の有名な城の石垣の殆どを積んだ、日本一の石工集団である穴太(あのう)衆が積み上げた石垣にため息が出る。
唐門と名の通り、麒麟が天上で見下ろし、門の真下から見上げると龍と鳳凰が見れました。
小堀遠州の庭を眺め、展示にその時代に思いを馳せます。
平成31年4月に拝観しました。
何度目か分かりません。
京阪坂本比叡山口駅から徒歩で行きました。
滋賀院は延暦寺の本坊だという事です。
室内・庭園も撮影禁止でした。
明智光秀に因んだ展覧会が開催されています。
坂本と明智一族の関係がよく分かりました。
滋賀院門跡は、京阪電鉄坂本駅の南西すぐの所にあります。
天台宗の重要な施設です。
京都の北白川にあった法勝寺(ほうしょうじ)を、江戸時代初期に現在地に移し、のち後水尾(ごみずのお)上皇から滋賀院の号を賜わりました。
江戸時代末まで天台座主(ざす)となった皇族代々の居所であったため高い格式を誇り、滋賀院門跡と呼ばれます。
坂本の町には、穴太(あのう)積みの石垣が見事な里坊が数多く残っていますが、中でも滋賀院門跡はひときわ背の高い石垣と白壁に囲まれて、延暦寺の本坊らしい堂々とした外構えを見せています。
約2万平方メートルという広大な境内は、内仏殿・宸殿・書院・庫裏(くり)・土蔵などが立ち並ぶ。
書院には、江戸時代初めの狩野派の障壁画(しょうへきが)がたくさん見られ、豪華な雰囲気に溢れています。
また、名庭として知られる庭園は、宸殿の縁側から鑑賞することができます。
滋賀院庭園は、滋賀院宸殿の西側に造られた庭園で、小堀遠州によるものです。
縁側からゆっくりと鑑賞できるようになっています。
庭園は細長い形で、縁側の下はすぐに池になっており、池の中央には5mもある実に立派な石橋が架けられています。
石橋を渡ると滝口があり、権現川の水を取り入れた清流が、音を立てて勢いよく流れ落ちます。
古い形式の構造ですが、味わい深くて落ち着く庭園です。
滋賀院にはこのほか、ヒムロスギやアカマツなどの植木だけからなる「蹴鞠(けまり)の庭」と呼ばれる庭園や、明治時代にできた二階書院の庭園などもあります。
庭も良いしね、建物も門跡なんだ~という感じでgoodです。
小堀遠州作庭の庭園も見られ、天皇家から拝領の太陽と二頭の麒麟の掛け軸も下がってました。
京都にはないかなというぜいたくでした。
けっこう、門跡とかあるし見れる大津市、侮れません。
穴太衆の積んだ石垣が、付近のあちこちにあり風情を加えてますね。
2020/10/1お参りさせて頂きました。
こちらのお庭は小堀遠州により作庭された庭園で中に、亀と鶴がおります。
探してみて下さい。
庭はすばらしいが、おそらく日を当てないようにするためか、障子を閉め切っているため、景色も見えない。
展示など手書きで何かと工夫されているが、建物やそのほかの部分の手入れが悪く、掃除も行き届いていない。
ゆっくりとした時間が過ごせました。
とにかく広くて小堀遠州の庭園も素晴らしい!伽藍内も見どころ満載でイチオシです!また明智光秀と同一人物とされる南光坊天海が建立した寺院ですので、是非行くべきです。
江戸時代の元和元年(1615)、天海大僧正が後陽成上皇より京都法勝寺の建物を譲り受け、この地に移築したのが始まり。
以後、歴代の天台座主(比叡山延暦寺の住職)の住まいとして存続してきたが、明治11年(1879)、火事で全焼してしまった。
現在の建物は、明治13年(1881)、比叡山の山上にあった建物を移築したものである。
敷地の広さは約一万坪、その中に天台座主の暮らした宸殿、天台座主が日々祈りを捧げた内仏殿(本尊は薬師如来)、勅使門、二階書院、庫裏、台所、土蔵、通用門など、数々の建物が並ぶ。
宸殿の裏には、小堀遠州作の庭園がある。
建物の内部は、狩野派や渡辺了慶の描いた障壁画で飾られている。
その他、歴代天台座主が筆をとった扁額や掛軸、古い屏風絵、仏像や仏画などの貴重な宝物を数多く所蔵しており、見所満載のお寺である。
天台座主の住まい。
滋賀御殿とも。
奥に根本中堂を模したお堂があります。
何らかの理由で根本中堂に行けなかった時に代わりにそこで法要をしたとか。
内部は撮影禁止。
穴太積の石垣が美しい坂本の街の中でも特にここの石垣は美しく、また威厳を感じる立派さ。
これはやはり天台の頂点に立つ皇族からいらっしゃった門跡さんが住まわれた御殿であったから。
寺院である以上に貴人の住まいであると言える。
建物も仏をおまつりするところというより、やはり貴族の住まいである要素が強いように感じた。
ここを訪ねた際に偶然にも現在の門跡さんのお勤めの読経に同席させて貰った。
現門跡さんは当然貴族ではなく比叡山の高僧の方で、坂本のお寺の住職さんを兼務しながら勤行のときに毎日こちらにやって来られるそう。
門跡の建物内部とその中のお庭は、「撮影禁止」と大きな貼紙が幾枚も掲示されていますが、どういう訳か、内部と中のお庭の写真がUPされています。
外国の方のならいざ知らず、大人なんだから文化財鑑賞のルールは守らないと。
(これについては「緑に染まる坂本、滋賀院門跡編」lで述べています。
)
石畳の道が素晴らしい。
紅葉が特に綺麗でした。
ちょっと奥まった位置にあるので訪れる人は少ないがオススメの寺院なので是非とも拝観してもらいたい。
滋賀県大津市坂本の門跡寺院旧・比叡山延暦寺本坊事務所1615年開基。
南海坊天海が後陽成上皇より下賜された京都白川の法勝寺を現在の地に移築し創建された。
1655年 後水尾上皇より滋賀院の号を下賜され以降滋賀院御殿は天台宗座主、歴代法親王の御座所となる比叡山の仏教徒を守護する護法善神・日吉大社が鎮座する近江国坂本・総里坊の当院は日本一の石垣施工技術者集団穴太衆の本拠地に相応しい見事な穴太積が施されている隣地に天台宗務庁が建ち裏地には天海廟所の慈眼堂更に傾斜を進むと徳川幕府の国家事業・日光東照宮大造替に先立ち雛型とし試験改築された西の東照宮・日吉東照宮が佇む下賜された法勝寺は摂関政治中枢の地、白河別業跡地に1077年に建立された院政時代中枢の地、六勝寺筆頭寺院跡開基の天海僧正は天下分け目の関ヶ原決戦にも出陣しており江戸幕府開府以来歴代三代将軍徳川家康・秀忠・家光の政治、宗教、朝廷、対策顧問として260年政権の礎を構築江戸の都市計画を完成に導き約50年間手腕権勢を振るう比叡山探題として戦乱焼討後の延暦寺の復興復権にも尽力し徳川将軍家の祈祷所・菩提寺東叡山 寛永寺 (台東区上野桜木)を開山。
初代住職を務めた寛永寺は江戸期の天台宗総本山現在は天台宗関東総本山である近江国を模した東叡山の山号は東の比叡山の意に由来しており現在の上野恩賜公園全域を超える広大な敷地面積を有した。
天海僧正の院号は智楽院。
没後朝廷から慈眼大師の諡号を賜る🅿︎要問合 ✖️現在撮影禁止。
名前 |
滋賀院門跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
077-578-0130 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
周辺のオススメ

24年6月5日に訪れました。
比叡山延暦寺の根本中堂の不滅の法灯と同じ灯火が間近で見れました。
拝観受付の方にきくとご本尊さま以外は写真撮影できるとのことでした。
近江富士がきれいに見えました。