反対派に襲われた場所です。
元治元年(1864年)9月25日 井上聞多(井上薫)が、反対派に襲われた場所です。
瀕死の井上は、近くの農民により湯田の自宅(現在の井上公園)へ運ばれました。
「もうこれまでだ」と悟った井上は、兄に介錯を頼みましたが、母親が「何をする。
死んだらお国のために尽くせるか。
介錯するなら私も一緒に斬れ」ととどめました。
駆けつけた吉敷の医者 所郁太郎が、傷口に焼酎をふきかけ畳針で50針縫って命を助けました。
傷口を縫合した畳針は、たまたま屋敷に出入りしていた畳職人のものだそうです。
名前 |
井上馨遭難の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
井上馨なんてええところのボンやのに修羅場くぐってなー💦そこまで彼を突き動かしたんは何やろ?松下村塾の生徒でもないから吉田松陰に感化されてもないやろうし…それからお母ちゃんも同じええところの出やのに気合い入っとる!ま、親子やな!