当時の治水への願いが伝わる神社です。
この御社の由来や経緯はローカルガイド「林真理子」氏のクチコミどおりだと思いますので、省略します。
昭和16年に架橋された本橋が昭和26年7月の梅雨前線の北上による佐波川戦後最大の洪水で流失しました。
死者11名もの犠牲を出したので、招魂碑を建立した際に本社を隣に移動し、更には昭和54年7月に現在地に移転したそうです。
しかし、かつて、石造とはいえ御社のような工作物が河川区域内(堤外地)にあったとは驚きでした。
今日の一級河川ではあり得ないことです。
最後になりますが、境内地というか同一敷地内の一角に「国弘義人先生頌徳碑」が設置してあります。
私のある程度根拠ある推測ですが、国弘先生は昭和40年代から50年代にかけて防府における同和問題解決のために尽力をされた方だと思います。
佐波川の川岸にある小さな神社です。
歴史は古く、室町時代に京都祇園社より奉祠したもので、山口の八坂神社は京都祇園社の分神です。
当時このあたりは、佐波川の氾濫が相次ぎ大きな被害がでました。
しかしながら、その頃の土木技術ではどうすることもできず、神さまにたよるしかないとこの地にも祇園社を建立しました。
それ以降、水害はなくなり疫病や火災も少なくなりました。
霊験あらたかと地区民もこの神さまを大切にするようなりました。
説明板の「大内弘也」は「大内弘世」の間違いですよね。
名前 |
祗園社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.6 |
当時の治水への願いが伝わる神社です。
佐波川を眺めると、犬の散歩や子供達が楽しそうに遊ぶ姿が見られます。