長州藩と京都江戸を結ぶ海路の起点。
長州藩と京都江戸を結ぶ海路の起点。
一部を残し他は公園に。
明治以後の塩田開発で埋め立てられて現在の海岸は1~2km先だが、当時はここから船出したのか…。
江戸時代、長州藩の玄関口として繁栄していた事がわかります。
すぐとなりに児童公園があり子どもたちが騒いでたせいかあんまり往時を思い起こすことはなかったなー😅
御船倉はいわゆる水軍基地であり、三田尻御舟倉跡は萩往還関連史跡の一つとして国指定史跡となっており、現在は公園として整備されている。
無料で見れます。
萩往還道の終点。
素晴らしい遺構。
毛利のお殿様は、ここからお舟に乗りました。
三田尻御舟倉跡 周りは、すっかり埋め立てられ、池のような形で保存されています。
防府市のWebによると、"毛利水軍の本拠地であった所で、藩主の参勤交代や平時の交通、不慮の水戦に備えたものです。
関ヶ原の戦いに敗れた毛利氏は最初下松にあった御舟倉を慶長年間ここに移し、船手組を定めました。
現在は水路や通堀の一部を残すのみとなっていますが、警固町や局ノ内等の地名に往時をしのぶことができます。
"との説明があります。
野村望東尼は、慶応3年秋、討幕軍である長州軍の船出を三田尻舟倉で送った、との話が伝わっています。
萩往還は、ここ三田尻御舟倉と萩の町を結んだ道です。
名前 |
三田尻御舟倉跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0835-25-4547 |
住所 |
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評価 |
3.4 |
南に隣接している児童遊園の駐車場が使用できます。
駐車可能台数は10台以上ありました。