ありがたやかたくのかどをいでそめてしゅうじんれいす...
2022.6 飯盛寺の境内にある不動の滝を観に訪れました。
国27にも飯盛寺の看板が出ています。
若狭西街道を過ぎると集落内は分岐が多いですが案内に従えば迷うことなく到着できます。
最後の登りだけ多少狭い箇所がありますが、落石もなく普通車で問題ありません。
飯盛寺の駐車場に停めさせて頂きました。
拝観は400円、滝見などの散策は300円とのことで、駐車料金を支払いお寺のパンフレットとご本尊のポストカードを頂きました。
ご丁寧に滝までの道も教えて頂きありがとうございました。
本堂へは行かずに山門を過ぎ登山口に向かってよく手入れされた境内を数分歩けば滝に到着です。
倒れた木々が目につき水量も少な目でしたが、岩盤上の不動明王像の鮮やかさや静かに流れる水音など、良い雰囲気の空間でした。
茅葺屋根のお寺。
凄く雰囲気のあるお寺で静寂に包まれている。
本堂の中もお参りできるフリーなお寺。
茅葺き屋根で古色蒼然としていた。
若狭観音霊場24番札所です。
お墓詣りを兼ねて飯盛寺の不動の滝を見に行く落ち着きのある風景、緑が生き生き素晴らしい空気感。
ありがたやかたくのかどをいでそめてしゅうじんれいする嬉しきのみや 若狭観音霊場24番札所 深山苔むす。
不動の滝は一年を通じ見ることができますが、紅葉や銀杏も美しくお勧めです。
深山韓城寺(原文)Fukayama Hanjoji Temple
高野山真言宗 薬師如来。
真言宗高野山派白い薬師如来坐像が珍しい。
本堂は平成10年に修復され立派である。
深い山にあり10分ぐらいは車1台分の道幅になる。
真言宗高野山派白い薬師如来坐像が珍しい。
本堂は平成10年に修復され立派である。
深い山にあり10分ぐらいは車1台分の道幅になる。
名前 |
深山 飯盛寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0770-52-6692 |
住所 |
|
関連サイト |
https://www1.city.obama.fukui.jp/kanko-bunka/jisha-shiseki/93.html |
評価 |
3.7 |
周辺のオススメ
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深山飯盛寺(しんざんはんじょうじ)といい高野山真言宗のお寺になります。
御本尊は薬師如来で御前立の弥勒菩薩像の後に、扉の閉まった御厨子の中に納められています近年(明治二年:1869年)の補修で彩色が施されています、脇侍の日光菩薩像と月光菩薩像の後に六体づつの十二神将像が祀られています。
脇仏の千手観世音菩薩像も御厨子の中に納められて安置されています、真数の御手を持つ千手観世音菩薩像で光背は瑠璃色に彩色されています、多数ある小手の指先の一本一本まで精巧に表現されています。
奈良時代の養老年間(717年~724年)に第四十四代天皇の元正天皇(女帝)の勅願により開かれたのが寺の始まりと伝えられています、当初は黒駒区今徳にありましたが南北朝時代の文和年間(1352年~1355年)に後光厳天皇の勅願所として覚能法印が再興し現在地の若狭三山の一つ飯盛山(いいもりやま)中腹の飯盛地区(はんせいちく)に移転しています。
歴代の天皇の勅願寺として寺運が隆盛して七堂伽藍が建ち並び十二坊を擁する大寺となりましたが、文明十六年(1484年)の火災により多くの堂宇・記録・寺宝が焼失しています。
現在の本堂は自然石の石垣積基壇に建つ間口五間・奥行五間の広さで単層・寄棟造・入母屋造・妻入・浅瓦葺で四方切目縁の五間堂です延徳元年(1489年)に建立された建物で、若狭地方の同年代の羽賀寺や神宮寺の本堂と比べると意匠的に簡素な建物ですが、室町時代中期に建てられた寺院本堂は建築の遺構として大変貴重な存在で国指定の重要文化財に指定されている。
飯盛寺に向かう集落の入り口には六日講の人々が龍を表した注連縄を飾っています、小浜市の西部加斗地区で一月に行われる「勧請綱」の行事で六日講と二十日講があります各区の男衆が総出で蛇(ジャ)と呼ばれる「勧請綱」を作り集落境に道路をまたぐ形でこれを掛け一年の除災招福を祈念する行事です、三つ組に編んだ綱に蛇頭(ジャガシラ)を付け十二本の御幣(神様)や鐙(あぶみ)と呼ばれる栗の木やツタカズラにより装飾される。
最後に飯盛寺の住職様による祈祷の儀式が行われ勧請板が付けられる、この龍の注連縄は十二人の神様が龍に股がる姿を表しているそうです。