とても広い境内で、綺麗な神社でした?
神秘的な風が吹く場所でした。
こころが落ち着きます。
とても広い境内で、綺麗な神社でした👍️
志呂神社しろじんじゃ岡山県岡山市北区建部町下神目1834祭神事代主命志呂神社御供(ごくう)が有名熱いお餅を奉納。
美しい神社でした。
祭りは大変w
備前の国から美作の国が分かれる時に安寧の為に建立され、少し国道から入った場所で、静かに佇んでいます。
大規模な中山造社殿の神社。
多くの彫刻で飾られた賑やかな本殿です。
邑久大工の作例。
参道は桜もキレイ。
よかったです~
本神社は、美作国が備前から分国した和銅6年(713)に弓削庄27カ村(現在の建部町、久米南町)の総氏神として祭られたと伝えられている。
古くは神主他20名余が奉仕し、社領は70石を有していた。
又、神宮寺もあったと伝えられている。
本殿は中山造より発展した3間4面(実尺は4間×4間)の総欅造の出向拝を備えた入母屋造妻入。
また、旧県社で祭神に事代主命を祭っており、各所に彫物を配した近世末期嘉永元年(1848)再建)の優れた神社建築となっている。
(昭和38年町指定文化財)志呂神社御供(ごくう)(通称京尾御供)は、志呂神社の神田地であった久米南町京尾「慶安年間(1648~1651)ここ下神目村から分村、地名京尾は、御供の供納からきたともいわれる。
」で作られる熟饌で、10月20日の例大祭に供えられる。
御供は、一台の三方に(ふと3個、まがり1個、丁銀3個、米飯1盛、柚子1個、箸1膳)が盛られ7台供えられる。
「ふと」と「まがり」は、叩粉と呼ぶ米の粉を蒸して作った団子のことであり、丁銀は餅で作られている。
その製法や形などに昔の生活や信仰などが偲ばれる。
(昭和32年県指定重要民俗資料)三樹山は、鎮守の森としてこれまでほとんど人手が加えられることはなく、自然の推移にゆだねられてきた。
このため、シイノキ、ヤブツバキ、シリブカガシなど原始的な植生型に近い常緑広葉樹が育っており、郷土の自然を知るうえで貴重なところである。
このような常緑広葉樹林では、四季を通じて厚い葉っぱに被われており、林外にくらべて気温の変化や温度の変化が少なく、冬の寒さをきらう南方系と夏の暑さに弱い北方系の動植物が同居するめずらしいところである。
(昭和51年県指定郷土自然保護地域)岡山県のほぼ中央部にこんなスポットがあったのか🤭
中山神社近辺の豪族の伽多乃部乙麿(かたのべのおとまろ)が、中山大神の眷属神である狼神を怒らせ、伽多乃部一族は滅ぼされそうになった。
伽多乃部乙麿は、毎年鹿二頭を献じることを誓って久米郡弓削郷に移住し、狼神を勧請した志呂神社を創建し鹿を献上するようになったと言う伝承がある。
近くに、牲谷の雌雄滝と言うのがあるらしい。
名前 |
志呂神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
086-722-1405 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
静謐な雰囲気を纏った神聖な場所。
歴史を感じます。