どちらかといえば地味な感じですね。
鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内の東郷池近くにある神社。
伯耆国(ほうきのくに)一之宮 倭文(しとり)神社、とネットで確認して漸く読めました。
駐車場、参拝料は無料です。
一之宮って事でそれなりの広さを予想してたんですが、こじんまりとしてました。
結構しっとりとした山林の中で、静寂な雰囲気が厳かな感じです。
平日の夕方でしたが、参拝客は他に居ませんでした。
藤津入口バス停から歩いて30分ほどで到着。
安産岩や夫婦岩を写真に収め、参道途中に「経塚」があるので行って見ることに。
昔は、下照姫命の墳墓とばかり思われていたらしいが、お経が埋まっていたとのこと。
ここ終焉の地で下照姫命は、梨?でも食べて余生を過ごしたのだろうかと、冗談を思い巡らせながら、神聖さ漂う拝殿でお参り。
社務所で御朱印をいただき、下照姫命に別れを告げる。
境内への階段直前には3台程度の駐車スペース、その手前の道路脇に数台停めれます。
行事がない限り混むような所ではないと思います。
鳥居や階段などにいい感じで苔がついておりいい雰囲気のパワースポットって感じです。
国宝が発掘された古墳?があるそうで少しだけ登りましたがまだまだ先がありそうなのでやめました。
宝印は他の方が書いている通り、あっさり顔のイケメンさんが書いてくれました。
令和4年8月10日午前10時頃訪問はわい温泉からほど近く、一見広くは無い境内だが、暑くて経塚へは行けていないから安産岩などを含めたら広大な敷地なんだろうと思う。
大きな石をくり抜いた手水舎が印象に残ったが、普段はそれほど参拝者が居ないのだろう、たぶん気軽な服装で境内の掃除をされていたのが宮司さんだと思った。
また、拝殿の周りには焼け跡が点在し、祭事なのか掃除なのかは分からないが、また、幾所に蚊取り線香を配置していただけていることも有難いが・・・、防火の点では不思議に思えた。
授与所では、イケメンで若い禰宜さん?が御朱印を書いてくれました。
しかし、経塚からの出土品が国宝指定をされている神社なのだから、もっとアピールしたら?とも、また、神仏習合分離などのロマンを考えながら倭文神社を後にする。
伯耆国一之宮の神社です。
主祭神は織物の神様である「建葉槌命(タケハツチ)」がお祀りされています。
もともとこの地方は織物が盛んででしたので、織物の神様をお祀りしましたが、特産品の織物の産業が衰退して、現在は「安産の神様」として信仰されています。
山の中にひっそりとある神様です。
早朝に伺ったのですが、コロナ禍で書き置きの御朱印ばかりの中に社務所の方は親切丁寧に対応していただきました安産の神様という事で若いご夫婦もお参りに見えていました。
とても静かでゆっくりとした時間の流れる神社です。
大国主命の娘の下照姫命を主祭神とする伯耆国一宮。
歴史を感じます。
一ノ宮巡礼。
安産に御利益のある神様。
古さが歴史を感じます。
【比定社】🅿ありナビに案内されながら少し不安になるも、着いた神社先は厳かな雰囲気。
多倍神社と同じく、近隣の方々が参拝に来られている様子で、整備が行き届いている。
随神門が大きく立派であり、やはり拝殿・本殿も同様であった。
立ち並ぶ木々の幹も太く、また枯れた根からは新たな神木が伸息吹いており、同じことを長く繰り返しながら今を迎えているのだろうと時の流れを考えさせられる。
伯耆一の宮・倭文神社古代織物を営みとした倭文族の神社です安産のご利益高い神社です神門の彫りや狛犬も素晴らしいです。
40になってからの妊活だったので、神頼みもあり以前に訪れました。
ここに来る前は全然ダメだったのに、ここにお参りして、授かり御守りを購入した数ヶ月後に妻の妊娠が🤰!おかげさまで7ヶ月を無事に迎えれてます。
なので、今日は御礼参りに来ました。
神頼みも悪くないですね。
本当によかったです。
御守りを買った時に敷地内にある一ノ宮経塚にも登ったのも効果があったのかな?辺鄙な場所ですが、ご利益はピカイチです。
少しだけ山の中を上がったところにある清楚な趣ある神社です。
文の文字は昔織物を表していたとのこと。
シトリとはシズ織のことで、ワブミと書いてシトリと読ませるのは随分昔、当時の中国人が、日本人(倭人)が身につけているのでそう読ませたそうです。
東条湖湖畔から1km程度山に入った所に鎮座する静かなお社です。
式内社の小社、伯耆国一ノ宮で旧社格は国幣小社、現在は神社本庁の別表神社に列せられています。
主祭神は建葉槌命、下照姫命です。
事代主命、建御名方命、少彦名命、天稚彦命、味耜高彦根命を合祀しています。
創建は明らかではありませんが、社伝によれば大国主命の娘、下照姫命が出雲から海路御着船従者と共に現社地に住居を定め、当地で一生を終えられるまで、安産の指導、農業開発、医療の普及に尽力されたと伝わります。
創建当時当地方の主産業が倭文(しずおり)の着物であったので倭文部の租神、建葉槌命に当地と関係の深い下照姫命を加えて祭神としたもので、他の5柱の神は大国主命の御子神か関係の深い神々となっています。
当神社に対する安産信仰は古くからのもので、数々の霊験が伝えられていますが、倭文の織物は姿を消したので、安産の信仰だけが残った様です。
倭文の織物がいつ頃姿を消したのかは解りませんが、大正時代迄は下照姫命が主祭神と考えられていたとの事。
天稚彦命は高天原から国譲りの使命を帯びていたにも関わらず、大国主命の娘、下照姫命と結婚し、あわよくば葦原中国を得ようという邪心を持っていたと伝記では伝えられています。
つまり天津神(天照大神)に逆らった訳ですから、祀る神社は少なく「命」を付けずに呼び捨てにされる事も少なくありません。
上記経緯により主祭神は下照姫命と考える方が正しいのかも知れません。
天稚彦命は失礼ですがこれと言った御神徳も無いんですよねぇ。
閑話休題。
御神階は承和4年(837年)に従五位下、斉衡3年(856年)に従五位上、天慶3年(940年)には従三位から正三位に進んでいます。
また勅額と称する古額が現存し、正一位白州一ノ宮大明神と刻まれています。
最盛期には多数の神宮寺も建立されましたが、戦国時代に神社のみを残して各寺院は四散したとの事。
往古の社殿は広大で千石の朱印地を有したと伝えられますが、戦国時代に荒廃。
天文23年(1554年)、尼子晴久が社殿を造営し神領79石寄進。
後に神領は廃絶しましたが、元亀元年(1570年)、羽衣石城主、南条宗勝がこれを復旧させました。
徳川時代は池田藩主の祈願所となりました。
参拝した日は小雨が降っておりとても静かな山陰らしい天気でした。
参道は緩やかな上りになっています。
古びた神門には見事な彫物があり、このお社の由緒深さを語る様です。
さして上る事もなく社殿に着きました。
参道では氏子の方々でしょうか、数人の女性達が掃き清められていて、みなさん「おはようございます」と挨拶をして頂けました。
参拝者は私達の他にはいません。
山中に佇む社殿は時が止まった様。
ただ雨の音しか聞こえません。
拝殿は入母屋平入り向拝は付きません。
本殿は流造の様でした。
御朱印は¥300-で頂けます。
駐車場はHPでは20台と記されていますが、実際は神門の下に3台分しかありませんでした。
(2021.04.28)
静かな落ち着いたたたずまいで、とても気持ちいい🍀😌🍀神社です。
下照姫が祀られていて安産の神様は納得です。
どなたにもお逢いしませんでした。
一宮にしては本当にひなびています。
山の上の古い神社だが社務所の対応がよく伯耆のくにの一の宮としてなかなか見応えある古さですよ。
伯耆国一之宮は細い道を進んだ先にありました。
駐車場は鳥居前に2-3台分程でしょうか。
運良く一台分空いていて一安心😅御朱印は直書きで頂けました🙏
朝9:30だというのに雨のせいか暗くて静か。
参道はトンネルのように感じられ拝殿へと続く。
本殿の裏手の雰囲気は境内と同じで鳥居からずっと全体がすごい。
(すごいしか今出てこないw)参道途中に塚があったけれど行っていないなんか行かないことでそこが守られてるような…
緑が豊かで、隋神門の彫刻がとても素晴らしい神社。
狛犬さまも島根県の鰐淵寺の狛犬さまも手掛けた磯右衛門という石工が作ったモノで、お尻がぴーんと上がって可愛いです。
とても厳かで素晴らしい神社です。
機織に携わった氏族である倭文氏が祖神の建葉槌命を祀ったのが起源とされている。
ただし、社伝には下照姫命に関するものが多く、大正時代までは下照姫命が主祭神であると考えられていた。
社伝によれば、出雲から渡った下照姫命が現在の湯梨浜町宇野に着船し、御冠山に登って現在地に鎮まったという。
着船したと伝えられる場所には、下照姫命が化粧を直したという「化粧水」や、腰を掛けたという「お腰掛岩」などが残っている。
これについて、『式内社調査報告』では、元々は織物の神である建葉槌命を祀っていたのが、当地で織物が作られなくなったことにより建葉槌命の存在が忘れられ、共に祀られていた下照姫命だけが残ったと記している。
境内の塚が下照姫命の墓であると考えられていたが、大正4年(1915年)の発掘により経塚であることが判明した。
その出土品の銘文から、当社が平安時代後期には伯耆国一宮であったことがわかった。
このときの出土品である観音菩薩立像などは「伯耆一宮経塚出土品」の名称で、一括して国宝に指定されている。
平日でも、社務所、開いてました。
御朱印のお気持ちは300円です。
伯耆国一之宮創建は不明ながら平安時代初期にはあった模様安産に霊験あるところ戦国時代に不遇な時期を過ごすが尼子家や池田氏による崇敬を受け現在に至るようです境内は驚くほど静かで質素です。
だが、それが良い。
一之宮としてはやや寂れた印象ですが、静かで神威に相応しい雰囲気の神社でした。
飛び掛からんばかりの狛犬が印象に残ります。
伯耆國一宮です。
山の中に鎮座されていますので、木々が生い茂っています。
夏の時期にお伺いしましたが、社務所の前に虫かごがあって、クワガタ自由にお持ちくださいと書いてありました。
自然豊かな環境です。
子宝、安産のご利益があるそうです。
御朱印は参道を登っていく途中にある社務所にていただく事ができますよ。
狛犬があまり見ない形でした。
東郷池側の県道234号の入り口から山中に入っていくと、伯耆一之宮 倭文神社がある。
(付近には店も家も無い、神社だけが在る。
)早朝8:30頃では、社務所も、拝殿の扉も閉まり、誰一人いない。
古びた「門」をくぐって、参道には大きな石が横たわり、特徴のある「狛犬」が迎えてくれた。
安産祈願で有名な神社です。
開運八社で戌年の今年はこちらの神社が選ばれています。
参拝した日が丁度戌の日だったので、祈願に訪れておられる方が沢山居られました。
毎月戌の日には、安産祈願を受付されている様なので、静かな参拝を希望されるなら戌の日以外に参拝するのが良いですよ。
鳥取県内にドライブに行くと寄らせて頂き、参道改修工事、屋根の改修工事など、僅かな寄進をさせて頂くと、県内スタンプラリーで、夏も冬も海産物詰め合わせや湯巡り手形や梨や西瓜などをお送り下さいまして、三朝温泉入り口の薬局で西日本宝くじを購入して、10万円が当たって、薬局にお礼に1万円持って行ったりと、しとり様にお詣りさせて頂て、ご縁を頂いたお陰かと思っております。
出雲大社の主神である大国主命の子孫の一柱(娘)が、この地を訪問した際に気に入り、居(社)を構えて現在に至る。
妊娠と出産、安産と育児、農耕の神様で『魚釣り』がお得意。
姫神様の道案内をした『海亀』は、いつか『出雲大社』へ姫神様がお帰りになる日を待っているため、現在は『亀石』に成っているが、お声が掛かる日を待っているそうな。
どちらかといえば地味な感じですね。
あまり人がやって来ないので、じっくりと見れていいですが。
御朱印いただけます。
混雑する9号、リゾート感の東郷池。
立派な一之宮を想像して来てみた。
誰もいない山の上にひっそりと佇む。
静かに落ち着いた雰囲気が安らぐ神社。
名前 |
倭文神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0858-32-1985 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 9:30~16:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
【まさかのセルフ式‼︎珍しい一宮♪】西日本一周の際に訪れました。
間違えて同姓同名の、別の倭文神社に訪れたのですがやはり一宮は違います‼︎雰囲気や誠実さが段違いによかったです‼︎よく手入れされているとても素敵な神社様でした♪珍しく感じたのが本殿への入り口の門が閉じていること。
自分であけてお賽銭を入れ参拝をして、また自分で閉めました笑。
この日は行った時間が遅かったからでしょうか?それともこれが通常運転…?(^^)いずれにせよとっても素敵な神社様でした。
参拝して損はないと思いますので、★4とさせていただきました。