❝新元号の令和の由来❞日本最古の歌集『万葉集』に収...
内容は良く知らずに訪問させていただいたのですが、あちこちに令和の文字がありました。
何か縁でもあるんだろうかと思ってたら、やはり縁のある所だったそうで。
私は詳しくは聞いて無いのですが、ウチの奥様が御朱印貰う時に教えて貰ったそうです。
道脇の小さ目の神社で、入り口もスルーして通り過ぎて、Uターンして戻った程でした。
その割に参拝の方も多くて、その人気が感じられました。
今回は4件しか回れませんでしたが、全て手書きで御朱印をいただく事が出来、大満足でした。
太宰府市坂本に鎮座する坂本八幡宮です。
ブームも落ちついた感がありますが、元号「令和」の由来となった万葉集の序文は、ここ坂本八幡宮が舞台と云われています。
創建には、天文・弘治年間に勧請されたと伝えられるものの、その由緒等は不明です。
言わずと知れた令和発祥の地。
大伴旅人に纏わる記念碑があります。
境内には急造と思われる社務所があり、手書きの御朱印を頂くことが出来ます。
向かい側に無料の駐車場がありますので車で簡単に来訪可能。
バスだと大宰府政庁跡前で降りて数百メートル歩きます。
せっかくなので大宰府政庁跡、観世音寺も観ておくことをオススメします。
令和の元号が決まった時に、テレビでよく紹介された所です。
太宰府庁跡駐車場に車をとめて、400メートルくらい歩いて行くと更に景色も含めて良いです。
令和5年になりました。
いまは令和何年かなと思ったら西暦の下二桁を足してください。
2023年なら2+3=5年です。
神社を案内されている地元のガイドさんが令和の文字が入った額をもちながら写真を撮影して頂けたり、国際都市福岡県のホスピタリティを感じました。
本当にありがとうございます。
ガイドさんに教えてもらいましたが、令和の石碑の裏も見てみてください。
清々しい風と朝日を感じることが出来るのは9時位の参拝がベスト参拝させて頂き、感謝致します。
令和の由来の八幡宮。
ひっそりと佇むお宮さん。
駐車場広い。
地元の方に大事にされてる感じ。
社務所は土日祝日10時〜16時です。
令和の語源とされている地域の神社です。
駐車場も広いのでゆっくり停められます。
以前は社務所などもなく寂しい感じでしたが、社務所もあり、商工会の方々も盛り上げようと軽食のお店もでていました。
記念に御朱印帳を購入しました。
何度か訪れていましたが、今回初めて直接御朱印を書いて頂きました。
ありがとうございました。
坂本八幡宮四王寺山に登る前に参拝に立ち寄らせていただきました。
予想していた混雑もなかったのでスムースに参拝できました。
元号・令和のルーツとなった神社。
不思議なパワーを感じます。
令和になって注目された坂本八幡宮目の前に無料駐車場が有るので助かります!
令和で話題の坂本八幡宮。
令和となってすぐの時よりは随分と人は減っている感じですが休日では案外参拝者さんは多い感じです。
神社前の駐車場に車を止めますが、舗装されて無く入口付近に穴が開いてますのでローダウン車は要注意です。
現在コロナの影響も有り社務所には人がおらず申込用紙に必要な授与品を記入し郵送にて送ってくるシステムとなっているみたいです。
送料込みの金額が書いた振込用紙が送られてくる模様。
徒歩10分のところに在住です。
坂本八幡宮のすぐそばにも駐車場がありますが、年配の方や小さなお子さん連れでなければ大宰府政庁跡駐車場に停めて、散策しながら行くのがお勧めです。
歩いても5分ほどで着きますし、静かで趣があり梅や桜、紅葉の時期は特にいいと思います。
神社のすぐ前に駐車場があり、知っている方はそこまで車でいらっしゃいますが、知らないと少し手前の駐車場に車を停めて歩いていらっしゃっていました。
御朱印は専用の申込み用紙に記入して、郵送でお願いできます。
年末に参拝したにも関わらず数日で御朱印が届きました。
星の評価が低いが、❝新元号の令和の由来❞日本最古の歌集『万葉集』に収められた(梅花の歌三十二首 序文)からきています。
その歌が詠まれた宴の場所がこの太宰府市、坂本八幡宮付近であると言われています。
文武の守護、国家鎮護、勝運招来の神様として崇められる応神天皇をご祭神する。
坂本八幡宮は、今から約1300年前武人であり当代きっての文化人として活躍し、遠の朝廷『太宰府』の長官であった大伴旅人の邸宅がこの付近にあった所と伝えられています。
万葉の筑紫の里の歌壇を形成し、万葉集に残る梅花の宴を催し詩歌を今に伝えています。
こんな小さな場所に大勢押しかけちゃ可哀想だなって思いました。
今ならゆっくり行けます。
御朱印関係は制限がある様で事前に調べてから行く方がいいです。
令和ゆかりの地だと聞いてお参りしてきました。
確かに規模としては大きくいえませんが暖かくかんじられるところです。
バス(政庁跡)を降りて歩いて7分くらいで辿り着けますので、太宰府に来たらぜひ!
令和で一躍有名になったので、記念すべき初の天皇誕生日に訪れました。
予想はしていましたが大混雑で、駐車場もいっぱいでした。
参拝するには長蛇の列に並ぶことになったのであきらめて、記念においてあった令和の額縁を持って写真だけ撮って帰りました。
御朱印ブームなのか、テントを張って限定御朱印を販売していました。
ご存知の通り、令和の話がなければ単なる地元の小さな神社です。
ここまでの訪問方法ですが、博多駅バスターミナルから大宰府天満宮行きに乗って大宰府政庁跡で降りるのがベストです。
バスに乗ると気づきますが、実は空港利用者なら福岡空港国際線ターミナルからバスが出ています。
路線案内アプリなどで福岡空港国内線からのルートだと、なぜか博多駅経由となりますので要チェックです。
国内線から国際線は空港内の無料バスが出ているが、路線案内アプリにルート認識されていないからかもしれないです。
大宰府政庁跡とセットで訪れたいです。
また、大宰府天満宮と徒歩で歴史の道を使って移動しましたが、約25分くらい。
そこそこ歩いている人いました。
【令和奉祝 天皇陛下御在位】令和以前は見向きもされなかった神社令和じゃなかったら、今のような賑わいはなかったのでしょうね。
御朱印場がプレハブですwここでは、御朱印帳は売っていなく、神社の近くで売っているようです。
令和様々ですね。
こちらにお参りに行かれましたら、地元の学生や、大人達が作った新聞がありますよ地元の方でもそうでなくても分かりやすく書いてあります。
大宰府の歴史とても奥が深いです。
ちなみに歩かんね大宰府と言う事業も素敵な大宰府ボランティアさんがご案内してくれます。
まず、月曜日と木曜日は社務所の定休日です。
御朱印などは頂けません。
ご注意下さい。
新元号、令和の元となった万葉集に編纂されている歌、「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」に由縁のある神社です。
小さな神社ですが令和発表直後からたくさんの参拝客で賑わいます。
境内には、菅官房長官が発表の際に使った「令和」の文字を書いた、内閣府 辞令専門職の茂住修身さんによる碑文の書が刻印されている石碑もあります。
ぜひその石碑の裏までご覧下さい。
御朱印は、大宰府天満宮と同じくらいで500円です。
あちらはお気持ちで500円~ですが、こちらの坂本八幡宮は500円です。
書き置きタイプと他に御朱印帳に直に書いて頂ける日もあります。
小さな神社で、少数で年配の氏子さん達が、文化庁や国有地の制限のある中で一生懸命整備されています。
神様にも、その氏子さん達にも感謝したい神社です。
トイレは神社向かい側の少し離れたところにコンクリート作りのトイレがあります。
年末年始は、車椅子用の広い簡易トイレと通常の簡易トイレも増設されます。
また、2019年11時から2020年の三賀日いっぱいまで、神社周辺の細い道は通行止めになります。
3号線から入ったところにある広い駐車場までしか車は入れませんのでご注意下さい。
恐らくそんなに駐車台数はないので、渋滞が予想されます。
2019年末から2020年の年始にかけてのゆく年くる年にも生放送されるようです。
HKの足場が組まれていました。
話題の神社を1度拝見したく足を運びましたが…あら不思議?神様が居ない?居なく成った?たまたま留守なのでは無い感じ。
神気もその痕跡も全く感じませんでした。
神様に最も近い社の真後ろに回っても全く感じない。
神社と言うよりお寺さん?こんなこと書いたら夢を壊すようで怒られますね(笑)…でも本当だし、忖度して嘘は書けないから書いちゃいました。
でも令和にあやかり大フィーバーしたのは間違いなし。
幸運にも恵まれる良い土地で有ることは皆がご周知の通りです。
だから5つ星にしました。
神社と言うより縁起の良い由緒正い史跡と捉える方が良いかも。
土地神・産土神として崇拝されている神社で、ご祭神は応神天皇。
「圓満山四天王縁起」によれば、嵯峨天皇弘仁2年(811)に勅宣により、ここ坂本に「善正寺」が建てられたとされています。
この寺は中世は天台宗の寺院で、本山の比叡山に習い九州の天台宗系の寺院の境内には八幡宮を祭る形が多くみられ、当社の勧進の時期は「福岡県神社誌」(1944年刊)の記述によれば、「天文・弘治の頃」(1532~1557)の戦国時代とされています。
この頃に寺院が廃れ、土地を経営する現在の坂本区の原型となる村落が出来て、その村の鎮守として寺の境内にあった社が再興されたものと考えられている、とあります。
境内入口南側にある「がらんさま」と呼ばれる立石は天台宗の寺院の故地に良く見かけられ、寺の中心地や結界となる境に置かれることがあるとか。
この場所が大字の境で「辻」という小字であることも、当社の鎮守としての性格を表している、とあります。
村社 八幡神社 筑紫郡水城村大字坂本字辻祭 神應神天皇由 緒不詳,天文,弘治の頃勸請と云ふ。
明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日九月三十日主なる建造物本殿,拝殿境内坪数百三十五坪氏子区域及戸数六十戸福岡県神社誌 中巻坂本八幡宮縁起 この坂本八幡宮は土地神・・産土神として崇拝されている神社で応神天皇を御祭神としています。
「圓満山四王寺縁起」によれば「嵯峨天皇弘仁二年(八一一)辛卯二月勅宣にて四王院に釈迦仁の像を造立し有智山寺の沙門鳳詮法師及行願具足の僧十一輩を移し開眼供養を遂げられ水田五十町を寄附し給ふ。
鳳詮法師は坂本に住して善正寺と号す。
又坂本坊と呼り。
」とされ,平安時代にはこの坂本の地に四王寺の座主坊としての善正寺が成立していたとされています。
坂本にあったこの寺は中世は天台宗の寺院で,本山の比叡山に習い九州の天台系寺院には境内に八幡宮を祭る形が多く見られます。
当社の勧請時期は「福岡県神社誌」(一九四四年刊)の記述によれば「天文・・弘治の頃」(一五三二〜一五五七)の戦国時代とされていますが,おそらくこの頃に寺院が廃れ土地を経営する現在の坂本区の原型となる村落ができ,その村の鎮守として寺の境内にあった社が再興されたものと考えられます。
境内入口南側にある「がらんさま」と呼ばれる立石は天台寺院の故地によく見かけられ,寺の中心地や結界となる境に置かれることがあるようです。
この場所が大字の境で「辻」という小字であることも,当社の鎮守としての性格を表しています。
古代には太宰府や九州を守護する寺であった四王寺が形地を変えながら,現在では坂本区の鎮守として生き続けています。
境内掲示版坂本八幡宮の四季4月 春ごもり・厄払い・餅まき・花見8月 七夕ごもり秋 しめ打ち11月 神戻し(かんもどし・神迎え行事)拝殿掲示わが岡(おか)に さ男鹿(おしか)来鳴(きな)く初萩(はつはぎ)の 花嬬(はなつま)問(と)ひに 来鳴(きな)くさ男鹿(おしか)太宰帥(だざいのそち) 大友旅人(おおとものたびと)原文 吾丘尓(わがおかに) 棹壮鹿來鳴(さおしかきなく) 先芽之(はつはぎの) 花嬬問尓(はなつまとひに) 來鳴棹壮鹿(きなくさおしか)万葉集巻八 一五四一大意 私の住む岡に牡鹿(おじか)が来て鳴いている。
今年初めての萩の花が咲き,牡鹿がやってきて妻問いをしていることよ。
この辺りは,太宰帥(だざいのそら)大友旅人(おおとものたびと)の邸跡と伝えられている。
旅人邸は,「万葉の華」ともいうべき梅花の宴が開かれた場所としてよく知られているが,赴任後間もなく妻を亡くした旅人の暮らしは心淋しいものであった。
萩の花が咲き初める初秋,牡鹿(おじか)が牝鹿(めじか)を求めて鳴く求婚の甲高(かんだか)い声にも,妻を思う自分の心を重ねずにはおられないのであった。
この歌碑・解説板は「歴史と文化の環境税」で作成しています。
境内設置解説板。
名前 |
坂本八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
092-928-3100 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
令和ゆかりの地ということで坂本八幡宮を訪れました。
公共交通機関で向かったのですが太宰府駅からコミュニティバスに乗り(PASMO使えた)市庁前(うろ覚え)で降りました。
大きな開けた場所を横切り(あとから太宰府政庁跡と知る)たどり着いたのが地元の小さな神社。
参拝後は、御朱印をいただこうと思っておりましたが、平日は無人、奥で郵送の申し込みをするか、決まった曜日に御朱印を受け付けているためその日に来たら現地でいただけるらしい、今回は御朱印を諦めました。
まだ新そうな令和についての石碑を眺めました。