基本、大きな広場ですが開放感が最高です。
3月31日晴れ桜が満開。
広々としていて空が広く感じ混雑を感じさせない。
政庁跡地なので土台になる石が点在しここに大きな柱が立ってたのだろうとか想像を膨らませて るのも楽しい。
駐車場も無料で家族連れで安心して遊べる。
今はきれいに整備され、古代の役所跡が良くわかる。
私にはこの場所に「特別な思い」が有ります。
昭和32年頃(1957年頃)小学3年生の春休み期間に、寒い風が吹いている日に「予定通り太宰府に行く」と言った「祖父」に連れられ・・着いた所が天満宮と政庁跡でした、天満宮の印象は何も残っていないが、政庁跡は「何も無い野原に寒風が吹き付け、低空飛行で「ドーン」轟音と共に「戦闘機」が「やぎの乳」を飲んでいた私の頭上をかすめていった」・・この光景が65年経った今でも残っています。
僕が行ってみたかった史跡の一つ、大宰府政庁跡です。
ついに行ってきました。
敷地はとても広く、当時は唐、新羅からの侵略を守っていた重要な辺境の拠点だったと思います。
菅原道真を始め、多くの貴族、役人の左遷先として歴史に登場しますが、大陸からの侵略を守っていたからこそ、今の日本があるとも言えますね。
太宰府天満宮を参拝した後に令和の語源で有名になった坂本八幡宮を訪問し直ぐ近くだった為、訪問。
中学生の時の教科書に出てきた気がするという思いにふけりなが歩きました。
特に何もない広い公園といった感じで夏休みの小学生達が遊んでいました。
博多駅からバス旅人に乗れば、目の前に停まります。
西鉄太宰府駅からは、歩いて30分くらい。
参道とは逆側です。
ただただ、ひろーい原っぱなんだけど、とーっても気持ちが良いです。
石がポツポツある以外、何もない原っぱ。
だけど、7世紀後半から12世紀前半にかけては九州全体を治めていた役所があり、また、外国との交渉の窓口として重要な場所でした。
その当時はかなりの賑わいがあったと思います。
そういう特別な場所なので、礎石の前で、仕事がうまくいきますように!と思わず手を合わせました。
この近くに観世音寺があるのですが、こちらもすごい!ぜひおすすめです。
GWに訪れた。
古代の官庁跡であり、五月の爽やかな青空の下、芝生と礎石が広々と広がっていた。
ここは気に入った。
何より、広い。
サッカー場が2つほど入る。
さらに周辺にも緑が多い。
そしてご時世かも知れないが、人はまばらである。
建造物がない代わりに売店の類も一切ない。
この潔さが心地よい。
この古代の官庁に何人くらい働いていたのだろう。
礎石は当時のものだろうか。
そんなことを考えながら、気になるほど人もいないので、手前の草の斜面に寝転んで、しばらくウトウトしていた。
資料館も多少興味を引いたが有料だったので、金を払うほどではないと思い止めた。
大宰府天満宮を訪れる途中で寄ったのだが、天満宮より良かった。
ただ広いだけで、史跡以外は本当に何も無い所です。
(トイレは3ヶ所あります)でも、広場へ足を踏み入れると時間がゆっくとり流れているようで、すごく落ち着きます。
ゆっくりしたい時には最高だと思います。
(かなりのパワースポットだそうです)
紅葉も美しい気持ち良いくらい広い広場。
春は桜も美しい。
この時期は駐車場もすぐに満車になる様子。
季節によっていろんな景色が楽しめそう!
2021年3月23日訪問桜が満開でした🌸ちらほらお花見をする人がいましたけど、駐車場は満車です。
早めに行くことをおすすめします。
のんびりとした雰囲気なので晴れた日はとても癒やされる。
子供も夏は虫を捕まえて遊んだりボールで遊んだりとお気に入りの場所。
桜が咲いたらフィジカルディスタンスをとりつつレジャーシートの上でお昼を食べようとおもう。
21.3.20訪問しました。
役所跡であり復元まではされていない。
家族で自然を楽しむにはいい場所だと思います。
桜は川沿いなどに植樹されているが本数は少なめかも。
大宰府とは、日本古代律令国家の外交、軍事の一翼を担い、九州全体を統括した最大級の地方官衙のことです。
その中枢機能の施設があった場所が大宰府政庁です。
7世紀後半から12世紀前半にかけて九州の中心として、その機能ははたされました。
帥や大弐をはじめ主要な官僚が派遣され、九州の祭りごとや、鴻臚館をとおした海外との交流のはたらきもしました。
広くて爽やかで歴史の重みもある素敵な場所です。
近所であれば毎日散歩したい。
行きなさい所でさたので感動的でした。
綺麗に整備されて良かったです。
ただ残念なのは犬の散歩が多かったことでした。
もつと大事にされているのかとおもつてたのですが市民が憩う場所になつていました😁
広々とした芝生の広場の中に点在するいにしえの政庁跡の基礎石群が歴史やロマンを感じさせてくれる所。
周りには桜が植えられており、満開の時期になると花見や散策など思い思いに楽しむ人が集い、心を和やかにさせてくれます。
ここで当時の貿易や防衛を担当していたのだと想像すると歴史が身に染みて感じられるが、現在は原っぱになっており地元の人たちが集まり凧揚げをしたり、キャッチボールをしたり、子供誰の家族が遊んでいたりするのでその趣は感じにくいかもしれない。
ただ、とても雰囲気のいいところなので青空の下のんびりするだけでも価値はある。
何も建物は残っていないのはわかっていきましたが 柱の台座にあたる礎石が残っているのみで全く何もない単なる公園です。
ただし、礎石も復元したものとオリジナルのものが混雑していました。
地元の子供たちの体の良い遊び場になっていました。
周りに梅の木は桜の木が多いので春の良い時期には相当人が混雑するのではないかと思います。
令和になってお隣にある坂本八幡宮に注目が集まりましたので八幡宮とセットで訪れるというのが王道です。
なお、福岡空港から直接バスが出ています。
普通に交通経路検索すると、一度博多駅のバスターミナルを経由するように案内されますが、福岡空港国際線のバス停から直接来ることができます。
時間も短縮できますし値段も100円安いのでおすすめです。
2019/11/10に伺いました😋博多駅からバスで30分くらいで着きます。
610円です😃石碑や御殿跡ばかりですので、今まで伺う人が少なかったらしいのですが…今や、坂本八幡宮のおかげで訪れる人が多いようです😉でも、私自身はは行ってよかったと思っています😆ひとつひとつの建物の柱の礎石も見れますし、周りの素晴らしき自然を眺めながら、太古の時代に思いを馳せることができます。
また菅原道真公もいらした場所でもあります😉「ただ石が置いてあるだけの場所」などと思わず、是非行ってみてくださいな~。
みなさまも、よい旅を😃
7世紀後半に、九州の筑前国に設置された地方行政機関。
主な建物として政庁、学校、蔵司、税司、薬司、匠司、修理器仗所、客館、兵馬所、主厨司、主船所、警固所、大野城司、貢上染物所、作紙などがあったとされる。
しかし、遺跡が確認されたものは少ない。
1953年(昭和28年)3月31日、国の特別史跡に指定された。
その歴史資料等は九州国立博物館で触れることが出来る当時を思わせる目に見える史跡等は少なく、一面に広々と原が伸びているため家族連れやペットの散歩など近隣住民の遊歩道として利用されている。
白村江の戦い(663年)で倭国・百済連合軍が唐・新羅連合軍に敗戦し、それをきっかけに大和朝廷は 大宰府を外交と防衛の重要な拠点とした。
大宰府は平城京と似た都市整備がなされ、九州全域を統治した。
現在は政庁域に役所跡が復元され史跡公園となっている。
国特別史跡指定。
とてもゆったりと散策できました。
梅の季節だったので堪能しました。
わんちゃんが多くて、リード離して走らせてる方もいましたが、あまり気になりませんでした。
朱雀門や中門等の礎石しかありませんが、西海道の政治、文化、学問の中心地であった当時を想像すると結構楽しめました。
すぐそばにある大宰府資料館には大宰府復元模型や、観世音寺の当時の模型、当時から現代までの地層、出土品などなどが展示されていますし、年表もあって勉強になります。
右大臣菅原道真公が京都からこの地大宰府に左遷されたのが901年で亡くなったのが903年と年表に記載されていたのを見つけて衝撃を受けました。
福岡と言えば大宰府、大宰府と言えば、太宰府天満宮、太宰府天満宮と言えば菅原道真公という認識だったので、当然菅原道真公は福岡に長く住んでいたものと勝手に解釈していましたが、実際に住んでいたのは2年くらいだったなんて。
太宰府天満宮に参拝したあとは忘れずにここも訪れたい。
菅原道真が左遷された太宰府とはここのこと。
七世紀後半に設置された太宰府は国の守りとして、外国交渉の窓口として設置された。
萬葉集に「遠の朝廷」と呼ばれ大規模なものだったらしい。
左遷された道真は厳しい軟禁生活を送り、この地で没する。
当時の距離感で言えば遥かに遠い異国の地といっても過言ではなく、その苦労が偲ばれる。
広大な太宰府跡を歩きながらそんな事を考えた。
その後、道真は怨霊になって暴れ、そして神として祀られる。
今もっとも人気がある神様の一柱である。
もし左遷されなければ出世したかもしれない。
しかし神にはなれなかったであろう。
面白いものである。
大宰府の遺構がたくさん残っています。
とくに、政庁跡・客館跡・学校院跡などが残っています。
石碑があるので、ぜひ、確認をお願いします。
さらに、政庁跡の中には、大宰府展示館もありますので、ぜひ、立ち寄ってください。
そして、大宰府跡の近くには、特別史跡・水城跡や特別史跡・大野城跡もあります。
とくに、大野城跡は、日本100名城になっている城跡です。
建物跡や石垣がしっかりと残っています。
さらに、水城跡は、川沿いに広がる土塁が現存します。
その土塁の下に、資料館もあるので、ぜひ、立ち寄ってください。
そして、最後に、太宰府と言えば、太宰府天満宮・光明禅寺です。
とくに、光明禅寺は、紅葉と緑葉が有名ですので、ぜひ、立ち寄ってください。
さらに、太宰府天満宮の中には、宝物館や菅公歴史館があるので、ぜひとも、立ち寄ってください。
これらを網羅すると、お金がかかるかと思ったらいけません。
西鉄電車太宰府お得きっぷ1000円で、天神~太宰府の往復きっぷと梅ヶ枝餅の引換券が付いています。
太宰府天満宮~大宰府跡・水城跡・大野城跡は、バスが必要ですが、その分は、別料金になりますので、ご注意ください。
基本、大きな広場ですが開放感が最高です。
未舗装ですが駐車場も有ります。
だだっ広い広場ですが電線も何もなく凧揚げや子供と遊んだり、犬の散歩に最適。
古代の建物(政庁)跡の礎石が広々とした敷地内に転々と並んでいるだけだけど、それが却って想像力をかき立てるし、観光地化されていないから静かで良かった。
大宰府流し今は基壇跡の残る広場で、また他の国衙と比べてもさほど大きなわけではありませんが、悲喜こもごも(ほぼ悲かも)の壮大な歴史が詰まってます。
古くから左遷の代名詞のような大宰府ですが…逆恨みで叛乱起こしちゃった藤原広嗣、山上憶良と共に歌壇を形成した大伴旅人、お礼参りを兼ねて太政大臣を討っちゃう吉備真備、よく働き京に返り咲くも程なく亡くなってしまう小野岑守、藤原氏のパワハラと追っ手に怯え病んでしまう菅原道真、望んで現地赴任し出世の足掛かりとした平清盛などなど、偉人達の人生におけるターニングポイントとしてこの場所の存在は大きかったんじゃないでしょうか。
梅、桜、椿など時期になるときれいな花を咲かせて目を楽しませてくれる。
冬は吹きっさらしで寒く、夏は影が無く暑い。
駐車場が狭い。
名前 |
大宰府政庁跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
092-922-7811 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.1 |
ブラタモリで見て以来、訪ねたかった場所。
天満宮の参拝を終え、駅前からコミュニティバスで15分ほどで到着。
山を背にした、広々とした敷地は、今では市民のお散歩コースになっている模様。
空気もよく、手前の小川は整備され、花菖蒲やハスの花が目を楽しませてくれた。
連休中日の月曜日だったため、展示館は休みだったが、ぜひ今度は違う季節に訪れたい。