「近江学」の本でここのこと知りました。
「近江学」の本でここのこと知りました。
木地師っていう人達がいたんですね。
とても興味深いです。
滋賀県に住んでても知らないことだらけだなと思いました。
皆さんは 木地師( Kijishi )をご存じだろうか? 端的に申せば 木を切って 椀や盆などを作る人達のことだが……。
彼等はかって各地の山々へ 自由に入山が許され 八合目から上の木の伐採を 慶應4年頃まで許されていたのだとか? 器を作る木がなくなれば 次の山地へ。
こうして その昔 この地から次第に他国(他府県の意)へと移り住んで行ったのである。
農耕の民は定住して作物を植え 実りを収穫する……置換すれば土地に固執。
対して牧畜の民は 家畜に食わす餌を求めて移住する……換言すれば物への固執。
「じゃぁ〜木地師はどっち?」……「切る木を求めて移住するから後者になる」のだろうが 早計な決めつけには無理があるだろうね。
文徳天皇の第一皇子 惟喬親王( KORETAKA SHINN NOU )が この地方で杣人( Somabito 意 : 木こり )に 轆轤( Rokuro )なる物を知らしめ 使い方を教え 社会的地位を確立した職業 それが木地師の始まりだとか。
さてさて 旧来からの 気のおけない友人の誘いを受け 木地師の里を訪ねんと 二人で滋賀県は東近江の永源寺より遥かなる奥………君ヶ畑地区に出かけた。
愛知川( Echi-gawa )の支流 御池川に沿って 深い幽谷の道を進むと やがて陽射しを遮っていた樹冠は遠ざかり ポッカリと青空の広がる開けた場所に出た。
そこは茅ぶき鉄板屋根をかぶり 息を殺すかのように 身を寄せ合う小さな集落であった。
人影は無く 限界集落と呼んでも過言ではなかろう。
村道は 通り風が森の香りを運び ギフチョウがすばしこく飛べば 一方で気だるそうに ウスバシロチョウがあてどのない飛翔を繰り返す。
集落の直ぐ南のヘリを流れる御池川では カジカが輪唱の鈴を鳴らし 岸に目を移すと 一里四方の水を集めるとも云われる樹齢推定500年にはなろうか? カツラの木が美しいグリーンのカーテンを川面にかける。
ろくろ工房 君杢( Kimimoku )の作業場と展示兼販売のご自宅を訪問させて頂いた。
木地師のお名前は 小椋昭二( OGURA SHOJI )氏。
作業場そのものが小椋氏のDNAと云っても過言でないオリジナルツールで溢れる。
作品は道具作りから始まる と云うが まさに言葉どおりだ。
辺りは作品づくりを待つ 楢・梅・欅・桑・楡・楓・桜 ほか 多くの素材が 時を待つ。
やがて彼の手に委ねられ 美しい調度品になることを夢みて。
素材は幾重にも積み重ねられ 3年 5年 7年 或いはそれ以上のエイジングを経ていく。
そうしないと 作品が仕上がった後で 捻れや たわみ などが起きるからだ。
多様な木目模様が小生を魅せてやまない。
近年 樹脂成型品が氾濫するなか 石油製品では補えない本物をここに見る。
同時に脳裏には ある染物界の悲しい運命が思い出された。
それは 〝辻が花染め〟。
幾多もの工程を経て完成していく 甘美なまでに美しいその染めものは やがて量産と手頃感の友禅染めにとって代わり 職人と染織技術は遠に絶えた。
お宅で多くの作品を拝見させて頂いた。
どれもこれも素晴らしいものばかりだ。
なかでも釘付けにさせられた木目模様がある。
根瘤( Nekobu )が生み出す 綾模様である。
これは もはや木目模様とは呼ばない。
これを〝杢〟と呼び 英語はフィギュア( Figure )を使う。
ここで おせっかいながら 〝杢〟とロールスロイス( ROLLS・ROYCE = RR )のお話を。
大英帝国の顔……即ち今や純血が途絶えた 往年のロールスロイスは フィギュアの値打ちを見逃さなかった。
彼らは根株へ ストレスを加える方法を編み出し 根瘤を作るプランテーションを立ち上げ 樹齢80〜120年のバーウォールナットと これも今や絶えた コノリーレザー(Connolly Leather : 一般牛に比して体高が大きく 最高品質の皮を得るため 有刺鉄線柵を排除し 広大なスカンジナビアの大地で飼育された その牛革で 他メーカーのなめし皮とは違い コノリー社独自のなめし製法から生み出されるレザー)を 頭数にして 1台あたり13〜18頭分と 惜しげもなく用い フィギュアとコノリーの見事なまでの融合は あたかもご主人様のライブラリー(意 : 男主人の居間 / 反して 女主人の居間は パーラー)に居る しっとりとした重み感と 独特の香り立つ雰囲気そのものを実現している。
そこに無いものは 大理石だけ。
こうして走る応接間は 帝国の顔となり やがて イギリス本国はもとより 友好国・帰属国・植民地の王侯貴族・地方豪族・権力者達が乗る 世界最高峰のモビールスーツとなったのであった……RRはそこまでやってのけた。
後にも先にもRRを超える車は はたして現われなかった。
知識の雑駁(Zappaku)な世間の一部は RRを 同じ秤にかけて超高級車の枠に入れたがるが 言わずもがな 立ち位置の初めから異なるこの車に 同じ天秤が使える筈もなく 実際は全くの別の代物だったのである。
さて 室内だけに限らず コーチビルダー(Coach Builder)達の手によって作り上げられる まるで大きな鋼鉄の塊から彫り進んで出来上がった 鉄の工芸品とまで謳われる高剛性のボディ(そこには乗車する主人を守り抜く絶対精神の厳正的存在)から エンジンほか すべて一事が万事 超過剰品質を頑(Kataku)なに 守り抜いてきたものだから 事業の継続など やって行ける筈もなく RR社は やがて純血を絶やした。
ロールスロイスのフロントグリルは ついに守護神アテーナ不在のパルテノン神殿となり 社の運命は この日で長い歴史に幕を閉じた。
1998年のことだった。
杢の値打ちをRRに例えて紙面をさいたが ご注目いただきたい事は ただの1点 杢にあるのみ である。
お解りのように 杢は楽器・家具調度品・什器・食器・等々 様々な分野で 世界が愛用している。
杢は人の意思の届かないところで育まれる………つまり神が描く美の世界と言えないだろうか? 〝辻が花染め〟の二の舞いにならない事を願いたいものである。
次の世代に何かが種となって残っていることを 切に祈りたい。
名前 |
ろくろ工房 君杢 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0748-29-0521 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土] 9:00~17:00 [日] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
若一探検隊に登場!今も残る小椋さんの工房を取材。
作品の販売も。