天下統一に向けて織田、徳川連合軍が一歩秀でる結果と...
日本100名城No.46武田軍の猛攻を凌いだ断崖上の城です✨長篠城は宇連川と豊川(寒狭川)が合流する断崖上に築かれた要害堅固な城です。
戦国末期、武田氏と徳川氏が争奪を繰り返しました。
天正三年(1575)には長篠設楽原の戦いの発端となり、武田勝頼の猛攻を受けましたが、城主の奥平貞昌は城を守りきり、織田·徳川連合軍を勝利に導きました。
城郭は主郭(本丸)、野牛曲輪、弾正曲輪などがよく残されています。
発掘調査の結果、丸馬出や空堀の存在などがわかっており、中世の「土の城」の築城術を体験できます👍
ツーリング途中の立ち寄りスポットとして来てみました。
ちょっと古城と言うか雰囲気だけが昔のままになっているような場所ですね。
ロールプレイングゲームのセーブポイントのような雰囲気が漂っていました。
1508年に今川氏配下の菅沼元成によって築かれたと言われています。
三河と遠江の境目の城として今川、武田、徳川氏で争奪戦が繰り広げられ、徳川家康が武田信玄の死後に奪取し奥平貞昌を城主とし長篠の戦いを迎えました。
長篠城は100名城に選定されていますが、現在の遺構としては主郭部分が見れるのみで物足りなさがありました。
よく長篠城の写真で使われる豊川と宇連川の合流地点は長篠城から車で5分程度の牛渕橋から撮影でき、当時の要害感がとても感じられるのでこちらから眺めるのもオススメします!長篠城は100台程度停められる無料駐車場が、あり、レンタサイクルもあるのでここを起点に長篠の戦いの史跡をめぐるのも楽しそうです。
遺構は少なめながら、合戦に関する説明板が丁寧でわかりやすいですね。
長篠合戦のぼりまつりのイベントは今年は中止になったみたいですが、のぼりは立ってました。
個人的には、史跡めぐりのルート案内板がもっと要所に立っていれば有り難かったです。
そもそも自分が方向音痴なのが問題なのですが、途中で諦めて帰ってしまいました😅
芝生の広場になっていて、各武将のデカい旗が飾られてました。
後は土塁と空堀位しかありません。
保存館にある長篠・設楽原の戦いガイドマップに載っている史跡を巡るのをオススメします。
日本100名城になっていますが、城自体の遺構などの見所は少ないと感じました。
一方で、鳥居強右衛門の話や、火縄銃が本格的に使われた長篠・設楽原の戦いによって武田軍が大敗を喫した歴史的な出来事に関わる城としては有名ですね。
長篠城、1575年、この城を武田と、徳川で取り合い、天下統一に向けて織田、徳川連合軍が一歩秀でる結果となりました。
毎年の様に、ある紅葉の写真が綺麗に撮れたので載せておきます。
城跡は一画なので簡単に散策できますが長篠城の攻防や長篠(設楽原)の戦いの所縁の地も合わせて巡る事で合戦の醍醐味を感じます。
歴史に明るいわけではないですが実際に城があった痕跡を見るとゆうのはとても貴重だし時を越えて過去に此処に居た人達、戦った人達が今自分と同じ地に立っていたのだと思うと感慨深いものがあります。
お稲荷さんは近くのお寺に移築されたようですが鳥居だけ残っているのも何だかノスタルジー。
すぐ傍には線路があり間近で電車が通るのを上から見れるので鉄道好きの人にも良いスポットかも。
史跡保存館も興味深い展示がありオススメ。
長篠の戦いの前哨戦となった城で鳥居強右衛門公の命を賭けた忠義話があまりにも有名です。
いまでは碑と掘、土塁の一部が残るのみですが天然の要害を利用した堅城であったことが解ります。
敷地内に長篠城址史跡保存館、最大の激戦地設楽原に設楽原歴史資料館があり、周辺、奥三河地方の歴史、長篠の戦いについて詳しく知る事が出来ます。
何と言っても感動ものは、当時使われた本物の展示品が多いこと、二館共通券を購入すれば440円で拝観出来ることです。
また長篠城址史跡保存館では周辺の自然を満喫しながら激戦地の散策が出来る様にレンタサイクルもされています。
無料駐車場有。
チラホラと人がいる感じです。
資料館で歴史を感じ、実際に見てみるとさらに身近に感じられます。
歴史的にすごく重要かつ有名な場所なのですが、長篠城跡周辺がもう少し手入れされていれば、川の反対側が見れて当時の風景を想像しやすいかと思います。
現状では付近の滝も木で隠れて見づらく、磔になった場所も方角ぐらいしか判りませんでした…
お堀の跡などしっかり残っていました。
歴史資料館も隣接しており楽しめました。
日本の名城100選にも選ばれている、長篠城址に4月の土曜日に訪問。
天気も良く、散歩がてら眺めておりました。
15分も有れば見終えてしまう規模ですが、武田軍との戦いに思いを馳せるのも良いかと思いました。
すぐ横にJR飯田線が走っており、撮り鉄の方が日に数本しかない電車を撮影されていたのが印象的でした。
堀と土塁(土居)と叢越に曲輪が見えて2つの川で3方向を守る天然の要害は迫力があった。
二の丸帯廓跡にある歴史保存館は長篠城の戦いと設楽原の戦い(4km離れてる)の資料の展示が充実していた。
鳥居強右衛門(すねえもん)の命懸けの伝令(川面に張り巡らされた鳴子網を鳴らさないように、当たらないように泳いで脱出し、岡崎の家康の元へ4km泳ぎ、陸路往復70kmを走り帰路、武田側に捕まって、命が助からないと悟り、援軍が来ないように城中の味方に報告するように指示されながらも「援軍が来るぞ」と叫び味方を鼓舞し武田側に逆さ磔にされた。
)のエピソードは胸を打つ。
長篠城史跡保存館の入館券に長篠の山と川を背景に磔の図が載せてあり、文言に「強右衛門が駆け抜けた道」と書いてある。
「大通寺の水さかずき」の場面を人形で再現した展示(味方の負けを察した部下達が「これが最後のご奉公」と水を飲み交わしながら別れを惜しむ)や、馬場信房の敵に自分の首を指し示して「討て」と命じたエピソードは感動して涙が止まらなかった。
赤備えの甲冑や国友や日野の火縄銃も見れてこれで¥210はとても得した気分になれた。
テーマを長篠の戦いと鳥居強右衛門に絞りわかりやすく解説してあり、充実した見応えある展示だった。
戦国時代を色濃く残した城は楽しい。
見に来れて本当によかった。
駐車場は無料。
資料館に入るのは有料。
自然の要所に建てられた城の攻防(小田・徳川、武田)が目に浮かぶように解説板が親切でした。
100名城スタンプをもらいに行きました。
博物館も見てみましたが、微妙でした。
城跡なので、建物は一切ないのはわかっていましたが、それにしても何もなさ過ぎる・・
場所は小さいのですぐ見終わるかも。
資料館はまだ見たことないです。
城ヲタ、歴ヲタではないですが、あまり人もいないしなんとなく落ち着く場所です。
看板が怖いけど。
長篠城は、戦国時代にこの地に拠った長篠菅沼氏によって築かれた城です。
長篠菅沼氏は、奥三河を支配する山家三方衆と呼ばれる有力国人衆の一つです。
長篠城にまつわる話で特に有名なのは、1575年に発生した長篠の合戦における攻防戦でしょう。
それまで武田方に与していた当時の長篠城主、奥平信昌は、徳川家康の調略によって徳川方に寝返ります。
これに怒った武田氏当主、武田勝頼は、大軍を率いて三河に侵攻。
それに対して、徳川家康は織田信長と連合軍を組織して長篠城の救援に向かいます。
連合軍の到着前に長篠城を包囲した武田軍は、猛攻を加えて早期決着を図りますが、城主の奥平信昌以下、城兵の必死の防戦により攻めあぐね、連合軍の来援を許してしまいます。
連合軍と城方との挟撃を危惧した武田勝頼は、包囲に少数の軍勢を残し、主力を率いて設楽原に進出します。
ここに、よく知られている設楽原の戦いが勃発し、武田軍は連合軍に完敗を喫します。
山県昌景や馬場信春、内藤昌秀といった信玄以来の主だった武将が討ち死にし、武田勝頼もほうほうの体で甲斐に逃げ帰る有様でした。
一連の戦いで長篠城を守り抜いた奥平信昌は名声を高め、後の出世の糸口をつかみます。
長篠城自体は、武田氏の影響力が弱まったために程なくして廃城となり、土塁や堀といった遺構のみが残されることとなりました。
これらの遺構は現存しており、往時の長篠城の姿を今に伝えています。
歴史の教科書に載るほどの出来事である長篠の合戦。
その舞台の1つである長篠城を訪れることは、歴史観を深める上でとても意義深いことだと思います。
長篠城(ながしのじょう)は、三河設楽郡長篠(愛知県新城市長篠)にあった日本の城。
特に天正3年(1575年)の長篠の戦いに先立つ長篠城をめぐる激しい攻防戦で知られる。
この地域の交通の要衝の地にあった。
寒狭川(現在「豊川」と呼ばれているもの)と大野川(現在の宇連川)が合流する場所に突き出した断崖絶壁の上にあり、(南や東西方向については)二つの川と断崖絶壁に守られた天然の要塞であった2,。
(▽状に)突き出した断崖の近く(やや西側、寒狭川寄り)に本丸を置いている。
長篠の戦いのころの構造について言うと、本丸のすぐ北側には堀が掘られ、その北側に二の丸、そのすぐ北側にまた堀が掘られていた。
二の丸外側に三の丸、弾正曲輪などがあり、本丸の西側に服部曲輪があり、野牛曲輪なども築かれ、城域を北側を囲むように木柵が作られていた。
川と断崖のおかげで南と東西の守りは堅かったが、北側は(台地状に)平地が広がっておりそのままでは守りが弱かったので、そちらにはしっかりとした堀が掘られていたのである。
南や東西から見れば断崖絶壁上の城であるが、北側から見た姿をもってして「平城」に分類されることもある。
寒狭川(豊川)宇連川の合流点、切り立った岸壁による天然要塞とお堀に囲まれた平城。
現在は広大な芝生広場が残る。
歴史的に凄い有名なお城だと思いますが城跡としては正直イマイチかも?こちらは現地で城跡を見るのと平行して織田徳川方の布陣や戦場や墓地を巡ることで城跡としての価値が上がるものだと思います併設の資料館は狭く展示は少ないですが内容は濃いものではないかと思われます。
豊川と宇連川の合流地点の断崖の上にある要害。
空堀や土塁の跡がよく残っています。
城跡は飯田線の線路で分断されてしまっていますが、踏切をを渡って野牛曲輪から川まで降りて城を見上げると、500人で15000武田軍の猛攻をしのいだ要害であることがよくわかりました。
川を挟んだ対岸に鳥居強右衛門が磔になった場所があり、石碑が建っています。
城跡の入口にある長篠城史跡保存館で予習をしてから城跡を廻ると想像がふくらみます。
あれれ?何か渋滞、どこも満車だ。
ん?お祭りしてる?ほ、ほ、鳳来~良い所~♪フフフ~ン♪何のお祭りだろうかと寄ってみたら、長篠合戦のぼり祭りだって。
出店で昼食食ってたら甲冑武者が来る。
ドーン!ドーン!太鼓の音。
米沢藩、稲留流砲術隊の登場です~。
何だ何だ?構えー!火蓋切れー!撃てー!ドーン!ドドーン!!腹に響く火縄銃の銃砲音。
初めて体感する轟音に呆気に取られる。
続きましてー、日本前装銃射撃連盟~。
ドーン!ドドーン!おお、こんどは大砲。
ズドーン!!続きましてー、長篠設楽原鉄砲隊~。
ドドーン!ドドドドーン!!うひゃ~、火縄銃たまんね~。
これは凄い、マジで凄かった。
3年くらい連続で通った。
家から片道300㎞かけて。
それ以上の価値はあった。
北側の堀が見応え有ります。
駐車場は空いていました。
100名城のスタンプラリーは、近くのコンビニでも扱っているようです。
城趾には、天守や櫓、土塀などはありませんが、土塁や堀など昔ながらの姿を見ることが出来ます。
付近には、武田軍の武将のお墓がたくさんあり、当時の戦いがいかに激しいものであったか連想させます。
奥平家の鳥居強右衛門は、味方を裏切ることなく、自身が犠牲になりましたが、武田軍の多くの武将も、殿を逃がすために、首を敵に差し出すなど壮絶な物語があった場所です。
近くには、設楽原合戦場があり、馬防柵により、武田軍騎馬隊を壊滅させた織田・徳川連合軍の鉄砲隊が有名です。
日本百名城No.46 武田軍の猛攻を凌いだ断崖上の城・長篠城!雨で足元が泥濘んで大苦戦、リベンジします。
長篠城は宇連川と豊川が合流する断崖上に築かれた要害堅固な城であった。
創築は奥三河の土豪菅沼元成で、戦国末期に武田氏・徳川氏が争奪を繰り返した末に、奥平氏が守る長篠城籠城戦の舞台となった事で有名です。
城跡は主郭(本丸)・曲輪(野牛・弾正)などが残り発掘調査の結果、主郭北側虎口の全面に丸馬出があった事や豊川沿いに四人で並んで歩ける幅の空堀の存在などがわかっている。
本丸脇にある史跡保存館(入館料210円)は「長篠合戦図屏風・奥平氏血染の陣太鼓」など展示しています。
アクセスはJR飯田線長篠城駅から徒歩8分です。
登城日:2017.4.8(一回目)
2017年11月に訪問。
日本100名城の一つで、2つの川の合流地点にある断崖絶壁の上にあった城跡。
当時から天守閣はなかったと考えられお城はありませんが、見事な空堀が残っています。
長篠の戦いの舞台となった場所としても有名で、「鳥居強右衛門(とりい すねえもん)」の逸話は素晴らしい話だと思います。
他にも城跡から下に降りる道があり、そこを下ると「不忍の滝」がありキレイでした(マムシには注意)。
また、長篠城跡から車で5分ぐらいの場所にある「牛渕橋(うしぶちはし)」から見える長篠城跡の眺めがキレイで、天然の要塞であることがよく理解できます。
100名城スタンプの設置場所は「長篠城址史跡保存館」にあります。
名前 |
長篠城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0536-32-0162 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/6,8420,118,664,html |
評価 |
3.7 |
二回目の訪問です。
こじんまりした城跡ですが戦国時代では要となり戦が絶えなかった激戦地ですね。
12月11日(日)でしたが、まだ紅葉が楽しめました。
史跡保存館では、わかりやすく解説されているので、先に保存館に行く事をお薦めします。
設楽原歴史資料館とセットは大人440円とお得です。