感謝、鎮魂、平和を胸に手を合わせました。
昨年2月にブラっとドライブに出掛けて三ヶ根山ドライブウェイで休憩中に見つけました。
息子と歩いて向かいましたが前知識無し。
しかし驚くべき事か太平洋戦争のA級戦犯の判決を受けて処刑、遺骨は英雄視されないように海洋投棄されるべきはずなのが実はここに眠られている。
そのストーリーは殉国七士で是非検索してください。
日本国民なら是非知っておきたい教科書に載せたい事例である。
殉国士と御英霊に感謝する場所。
何度行ってもいい所です。
下のお墓も全部参拝してきます。
Googleマップで経路を検索すると、裏道の林道を示しますが、この道は車は絶対に通れません。
バイクでも命の危険があります。
大人しく三ヶ根山スカイラインを通って来ましょう。
荘厳な雰囲気に包まれています。
ネット社会の現代でもなかなか知ることが出来ないことを知ることが出来て、行った甲斐がありました。
写真に収めてきましたので、是非読んでみてください。
巣鴨プリズン跡地を訪問後に極東軍事裁判について調べているとき興亜観音と殉国七士廟の存在をはじめて知りました。
はじめは車でGoogle Mapの経路案内県道41号線交差点(逆川)から入るルートで向かったのですが、車道が途中からなくなり殉国七士廟には行けませんでした。
その後、南側の三ヶ根山スカイライン(通行料金420円)から向かうと殉国七士廟参道入口に無事到着できました。
参道入口前の駐車場からは三河湾が一望できます。
立派な石門を越え廟内に駐車しトイレに行った後、殉国七士墓及び独自動車第二四八中隊、豪北派遣第五七〇八部隊、お町碑、南支派遣軍沖三七五〇部隊、第一・第三・第九・第十一航空通信聯隊、飛行第五十・七十五戦隊、軍馬の墓、騎砲兵第四聯隊、満州第八〇五部隊、飛行第六十七戦隊、第二十七野戦貨物廠、第二十四師団通信隊、第三師団通信隊、戦車第三師団工兵隊など複数の慰霊碑にお参りしました。
あらためて大東亜戦争でお亡くなりになられた偉大な先人に感謝するとともにその遺志(恒久平和および各民族の自立自存と共存共栄、大和民族としての自信と誇りを持って)を受け継いで生きていかなければならないと思いました。
(2020年9月26日)殉国七士墓石横の石碑には以下のように書いてありました。
u003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003d米国の原子爆理使用ソ連の不可侵 條約破棄物資の不足などにより敗戰のやむなきに至つた日本の行爲を米中英ソ濠加佛蘭新蘭印比十一ヶ國は極東國際軍事裁判を開き事後法によりて審判し票決により昭和二十三年十二月二十三日未明 土肥原賢二 松井石根 東條英機 武藤 章板垣征四郎 廣田弘毅 木村兵太郎七士の絞首刑を執行した横濱市久保山火葬場よりその遺骨を取得して熱海市伊豆山に安置していた三文字正平辯護士は幡豆町の好意によりこれを三ヶ根山頂に埋葬し遺族の同意と 清瀬一郎 菅原 裕 両辯護士等多籔有志の賛同とを得て墓石を建立した遙かに遠く眼を海の彼方にやりながら太平洋戰爭の真因を探求して恒久平和の確立に努めたいものであるu003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003du003d
静岡の豊橋市からGooglemapsを使用しバイクで向かう事にしました。
しかし細い林道を案内され、着いた場所は何かの小さな施設。
この場所からでも歩きで2キロ程登れば着くようです。
しかし調べ直してみると実はここは裏側らしく反対から楽に行けるようで、結局引き返す途中にバイクが苔と落ち葉で滑り怪我をしてしまい行く事を断念しました。
もしバイクで向かわれる方がいらっしゃれば是非参考になれば嬉しいです。
次は必ず辿り着きたい。
浅見光彦シリーズ』でここを親子で訪れている場面で、ふとGoogleマップで検索してみた。
2ヶ月程前に近場のドライブとして、三ヶ根山を選び山頂の涼しい風、ウグイスの鳴き声を満喫して何にも知らない私は帰って来てしまった。
この三ヶ根山にこのような厳かで、通り過ぎてはいけなかった場所があったなんて。
皆さんのクチコミを読んでいると、この7人の方々の事を恥ずかしながらよく知らなかった私でももう一度すぐにでも行きたくなった。
訪れて、お参りさせて頂いて、たくさんのこと知りたくなった。
感謝、鎮魂、平和を胸に手を合わせました。
また、いつも綺麗にしてくださっている方々に頭が下がります。
本当にありがとうございます。
戦は綺麗事ではありませんね。
しかし、時として歴代は勝者のストーリーが語り継がれてします。
そして敗者のストーリーは葬られ、時代とともに消し去られる。
思いを巡らすと胸が詰まります。
しかし、現に先人の想いや命の上に日本国があり、お陰様で毎日美味しいご飯をいただけております。
ありがとうございます。
今は、世界情勢も変わり、また国内も様々な意見や多様性があります。
守るべきもの、戦う(戦争という意味ではありません)べきものの上に私達は生きています。
認め団結して子や孫の未来へ繋げていかないといけないのでしょうね。
ここに来るといつも安らかで大きな心に包まれているかのような気持ちになります。
天から笑顔で見守っていて下さい。
19年ぶりです。
米国の企む出来レースに乗せられ東京裁判で悪者の汚名を着せられ処刑された七士のお墓です。
安らかに我々日本を見守って下さっています。
いつもお花を供えてきれいに管理られる方々には頭が下がります。
清々しくおまいりできました。
日本人が誇りを持ち続けるために行っておきたい場所だと思います。
ボランティアの方々が学校では教えてくれない歴史を色々教えてくださいました。
ボランティアの方々は、「たくさんの方に来てもらいたい」と仰っていました。
飛龍のエンジンも祀られており、当時の技術にも出会えます。
七戦犯が祀られている知られざるスポットだが、是非訪れるべきである他にも戦場で散った将兵の慰霊碑や忠魂碑が並んでおり、彼らを死地へ送った張本人たちのすぐわきにあって複雑な気持ちになった。
太平洋戦争後に東京裁判にてA級戦犯とされ死刑となった七名の遺骨が眠っています。
ただし、知名度はかなり低い場所かと。
【遺骨が流れてきた経緯は以下】1. 東京裁判にて7名の方が死刑判決2. 1948年12月23日に死刑執行3. 遺体は横浜の久保山火葬場に運ばれる4. 興禅寺の市川住職、東京裁判で弁護を務めた三文字正平弁護士、久保山火葬場長の飛田氏の三名が、米国が彼らの遺骨を太平洋らにばらまくことを恐れ、米軍監視下のもと火葬場に密かに侵入して、遺骨の一部を奪還5. 近くの興禅寺に一時保管され、遺族との協議のもとで熱海の興亜観音へ移す6. 東京裁判で弁護士を務めた林弁護士が、愛知県の蒲郡競艇場の分配金をめぐる裁判にて活躍したことで、幡豆町の町長が三ヶ根山を案内してくれた。
7. 景色のいい物静かなこの場所は、七名の遺骨を安置するに適していると遺骨を持ってくる案を思い付く8. 遺族との協議のもと、1960年に興亜観音に眠っている遺骨の一部を三ヶ根に分骨今では三ヶ根の方が知られていますが、三ヶ根は分骨されたわけで、今現在遺骨は興亜観音と三ヶ根山にあります。
(長野県にある説も。
)そして、この近くには東條英機氏のお孫さんである東條由布子さんが建てられた慰霊施設「ユートピア三ヶ根」もあるのでぜひ!詳しくは、「知の冒険 三ヶ根」で検索した記事に背景を書いています!
この方達の犠牲を決して今の日本人は忘れてはいけないと思います。
勝てば官軍。
負ければ賊軍。
日本は結果として負けて、この7名を含む多数の御身の犠牲の上に平和な世の中を享受することができました。
あらためて感謝とともに御霊の安らかなることを切に思い、参拝いたしました(`・ω・´)ゞ
東京裁判にて裁かれて殉国された7名の遺骨と英霊が祀られている。
一度は此方に来たいと思っていたが、叶ってよかった。
清掃をしていた方が丁度いらしてお話ししたが、参る人がもっと増えて欲しいと思う。
連合国軍によってA級戦犯とされた方々が眠る場所。
三河湾を眼下に臨む三ヶ根山の山上にある。
戦犯とは戦争犯罪人の略であるが、むろん彼らは犯罪者では無い。
戦勝国の都合で戦犯とされたに過ぎず、汚名を一身に背負った。
そもそも大東亜戦争は米国の不当な要求が発端となったのであり、戦わざるを得ない戦争でもあった。
「戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。
戦って死中に活を見いだし護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残せば、我らの子孫はかならずや再起、三起するであろう。
」永野修身海軍大将の言葉である。
もし日本がハルノートを受託していたならば、国土を灰にすることは無かったかもしれない。
しかし継続する帝国主義のなかで、日本は日本でなくなっていたであろう。
ここに眠る七人の苦渋と苦悩、責務感とそれを貫く姿勢を思う。
勝てば官軍、負ければ賊軍歴史に翻弄された方々です我が国日本の為に生命を賭して尽くされた七士明らかに違法な極東軍事裁判で裁かれた結果がいまだに尾を引いている現実現在平和を謳歌している日本国民の中にも事実と向き合えない者が少なからず居る事が悲しい。
お供えなどお墓参りセットをもっていきましょう。
一段下に、沢山の碑などがありますので、そこも参られる場合は、沢山お賽銭かお線香持ってったほういいです。
また、普段管理人が常駐されているわけではないので、お掃除セットも持ってくと尚良です。
哀しき結末…。
戦後生まれの私は、今日まで続く平和の為に犠牲になった方々には感謝しなければならない。
勝てば官軍、負ければ賊軍。
日本の歴史で見ると戊辰戦争の時もそう。
幕末の志士だなどと勝った方が正当化し英雄視される。
最終的に勝った方が正義とされるのは、やむを得ないと思っていますが、都合のいいように悪役にさせられた方々には気の毒ではあります。
だからといって7士を美化する気も罵倒する気もないが。
日本が絶対正義という主張はおかしい。
戦犯だとか殉国者だとかいうのはわかりませんが、国の為に己の御霊を報いた立派な死に様に思う。
三ヶ根山にこのようなものがあるのを忌み嫌う人もいるだろう。
7士とここは所縁もないからね。
形原の弁護士⁈がここに祀ったとか。
興味ある方は是非訪れてみてください。
名前 |
殉国七士廟 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
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この廟の庭園を管理されている方と話す機会があり、資料もたくさん頂き勉強になりました。
アクセスは東幡豆駅からタクシーで行こうと、東幡豆駅からタクシー会社に連絡しても断られたので、西尾まで電車移動しジャパンレンタカーを6時間¥3500で借りて、ようやく辿り着きました。