発展しては広い工場用地が必要となりました。
会社の通用門付近なのでどう表現したらいいものでしょう?
この地は 江戸時代には尼寺があったが 明治初年に廃寺となり, その後は大正年間まで“蛇屋敷”と呼ばれていたといわれる。
本田宗一郎は上記の歴史に因果があります。
信じるか信じないかはあなた次第です。
慰霊碑も建てないとだめじゃないのかな?
蛇屋敷跡地に本田宗一郎により創業された本田技研工業株式会社も、発展しては広い工場用地が必要となりました。
其の要請に応える土地として三方原台地上の此処は最適でした。
人家も珍しかった明治に陸軍の練兵場として機能した此処には大正末期に飛行連隊が移駐してきており、終戦とともに其の役目を終えていたからです。
その正門跡が今は本田技研工業株式会社のトランスミッション製造部東門に当たることを教えてくれる案内板です。
名前 |
飛行連隊正門跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.3 |
案内の看板があるだけで、現在は会社(本田技研工業トランスミッション製造部)の通用門として、僅かに面影を残すのみ。