道の駅鳳来三河三石の裏側、駐車場からすぐ。
初めて山城と言うのを経験出来て良かったですがまぁまぁキツイ登りが続きます。
基本の曲輪や切堀本丸 二の丸 三の丸を見れて良かったです。
自分の知識にしています。
訪れる時は、道の駅「鳳来三河三石」を目指します。
道の駅からは、常に案内板があるので道に迷うことはありません。
山城なので、道は少し急な場所があります。
柵や立札などがあるので、当時の事が分かりやすく、非常に良かった!
伐採した杉材で一部柵を再現してあるので禿げ山状態の当時の山城の雰囲気が想像しやすいです、鶯が歌っているなか一時間の滞在中貸切で最高でした。
Googleマップで示すところに行くと、裏手から第二東名高速道路の急階段を登っていくことになります。
道の駅鳳来三河三石から行くのが正しい行き方だと思われます。
10分ちょっと一気に歩き、本曲輪まで到達すると、遺構がしっかり残っており、なかなかの城跡でした。
自分が行く城跡というと、だいたい草が生い茂っているところが多いので、林の中で日が届かないからなのか、整備されているからなのか、何だか荘厳な感じがしました。
ここは行った方がよい城跡かな。
女城主井伊直虎の母方の祖父鈴木重勝の居城。
孫の鈴木重好の時に武田信玄に攻められ落城。
城主重好は助かり井伊直政、水戸徳川家に仕えた。
遠江と三河の国境を抑える城にして井伊谷三人衆の一人、鈴木重時の居城。
武田氏が遠江に侵攻した際、信州から別動隊を率いた山県昌景により攻城を受け、落城した。
大河ドラマの影響か、良く整備されている城跡。
柿本城跡(≧▽≦)
道の駅がありますので、そこからは歩いても20分くらいで本丸まで行けました。
近くに寄ったのなら一度は行くべきかな✨
木の枝を杖代わりに登り口に用意してくれてあり気が利いてます。
台風被害がそのまま倒木放置されているルートがあります。
城跡に登る途中に満光寺があります。
素敵な裏庭があります。
城跡からの帰りに立ち寄って庭を見ながら一休み。
道の駅鳳来三河三石の裏手にある山城跡。
築城した鈴木氏の子孫と思われる方が建てた碑と再現した柵があるのみです。
道の駅「鳳来三河三石」から歩いて30分ほどで登れる城跡です。
樹木に遮られて景色を見渡すことはできないですが、山頂には案内看板や石碑などが有りました。
行った記憶がございません!
遺跡は標高190mを測る子路山(しろやま)山頂付近の端部に所在しており規模は150m四方にわたり、南北90mで東西約55mの長方形を呈する主郭とその東西部の一段低い場所に腰曲輪が配置されている。
土塁などの遺構は認められないことから、防御性が低かったものと考えられている。
なお、石垣のような石積遺構の性格は不明。
本城に関わる記録は少なく、その詳細は定かではないが、鈴木重勝が永禄11年(1568)に築城を開始したと考えられている。
元亀2年(1571)、武田信玄が三河への侵攻を開始し、翌年に武田方の山縣昌景が8千の軍勢を率いて、5百ばかりの兵が守る柿本城に押し寄せた。
城主の鈴木重好(すずきしげよし)は、満光寺住職らの仲介によって戦闘を回避すべく和議を結んで開城し、引佐町・伊平に逃げ延びたとされる。
家康の遠江平定後は、宇利城主の近藤康用がここに居城を移したとされる。
昭和46年6月12日に市指定史跡となった。
道の駅 鳳来三河三石から登って行けます。
私が行った時は、私以外誰一人登ってきませんでした😅蚊がたくさんいました。
ウォーキングシューズなど足元はしっかりした履物がオススメです。
あとは、長袖長ズボン👖がオススメです。
とても静かな場所で、時空を超えたような場所でした。
道の駅 鳳来三河三石から登って行けます。
私が行った時は、私以外誰一人登ってきませんでした😅蚊がたくさんいました。
ウォーキングシューズなど足元はしっかりした履物がオススメです。
あとは、長袖長ズボン👖がオススメです。
とても静かな場所で、時空を超えたような場所でした。
名前 |
柿本城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.7 |
道の駅鳳来三河三石の裏側、駐車場からすぐ。