城門を襲ったが難攻不落と見て包囲を解いて退却した。
南口駐車場から登ってすぐの所だよ。
2020年7月16日現在、崩落で本丸方向使用不可搦め手から行ってください。
追手門から登って本丸・三ノ丸方面と高天神社や、二ノ丸・馬場平方面の分かれ道です。
土砂崩れで通れなくなっています。
(令和2年4月5日現在)
「高天神を制するものは遠州を制する」といわれた要衝で、武田方と徳川方がこの城を巡って争奪戦を繰り返した東海一の堅塁を誇った山城であり、「難攻不落の名城」と呼ばれた。
急峻な断崖絶壁が城を取り囲み、守りに堅く、攻めるに困難な城である。
駐車場は10台くらいとめられます。
急な山道を行く必要がありますが、こちらからのほうが難攻不落の高天神城の地形がよくわかり、おすすめです。
ふらりと立ち寄った場所。
案内看板・高天神城想像図を拝見するとけっこう歩くのかな・・・と思いきや小さなお子さま連れの親子が下山してきたのでちょっと安心。
さて・・・この先に行ってみよう!!
大手門向かって左は大きな谷、右は断崖絶壁この間口狭い大手門にはどれだけ大軍でも、少数の攻め手づつしか攻めかかれない。
元亀2年3月武田信玄二万五千騎を率いて来攻、城門を襲ったが難攻不落と見て包囲を解いて退却した。
天正2年5月武田勝頼2万騎を以って来攻包囲猛攻、6月18日武田勢内藤昌豊、山県昌景の精兵城門に突入、城兵必死の防戦、大石久未、川田眞勝以下城兵死傷75名武田勢死傷253名に及んだ。
天正8年10月徳川家康1万騎を以って当城包囲猛撃、23日本多忠勝城門に追ったが部下袴田源左ヱ門城兵と戦い討死した。
天正9年3月22日夜半城兵総突出に際し、徳川方武将松平康忠城門を破って突入し、追手櫓門を焼き落とした。
元々海だったのが、隆起して出来たのか、周りに転がっている石は殆ど丸く滑らかだった。
地層が見えるところでは、所々砂が混じっていて柔らかかった。
大手門向かって左は大きな谷、右は断崖絶壁この間口狭い大手門にはどれだけ大軍でも、少数の攻め手づつしか攻めかかれない。
谷あいの攻防自在の門。
両翼の山が進退を援護してくれます。
門だけではない強さ。
徳川家康と武田信玄が争った「難攻不落の城」高天神城の追手門です。
鳥居をくぐって少し進むと町指定天然記念物の「高天神城追手門のスギ」が有ります。
名前 |
追手門跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0537-24-8711 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.7 |
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追手門側からも搦手門からでも駐車場とトイレはあります、登城するには大変助かりますね。
搦手側の方が駐車場は広いです。