石垣は江戸期の光明寺のモノ。
船明方面より山道に入って行きます舗装はキレイにされていますが曲がりくねっており 落葉 草等で道幅が狭く見えます尾根伝いに20分ほど走らされます (^_^;)道路脇に光明山遺跡旧参道五十町と看板出てきましたらそこが駐車場ですGoogle先生の案内ですと真下辺りの道路上で到着とされてしまいました (^_^;)駐車場脇の入口から行かれるのがいいかと思います元々 お寺として存在していたそうですが戦国時代に山城として改修されたとの事ですですので光明山遺跡も光明城址も同じ場所を指してます現在は祠 石垣 石階段 灯籠などが残っています天竜川 遠州灘を一望です 晴れていればなお良しです登山で訪れた方もいらっしゃいましたお弁当を持っていかがでしょうか?!
眺望抜群な城跡。
ハイキングを楽しむ方は、ここで休憩するのがオススメです!おにぎりやサンドイッチなどが良いでしょう♪※ゴミはもちろん持ち帰りましょう。
光明山遺跡(光明城跡)までは林道のため、道は狭く、落石、木の枝などが落ちているので注意が必要です。
城跡からの景色が綺麗ですが、狭く落石や倒木がある長い山道を通るのは小型車でも覚悟が必要です。
石垣は江戸期の光明寺のモノ。
堀切や井戸がある。
麓から歩いて登ると土橋が途中にあった。
トレッキングが楽しめるよん♪
光明城は、武田氏の支城の一つで築城は、享禄年間(16世紀前半)に今川氏家臣の朝比奈時重により行われたと考えられている。
この時に元来その地にあった密教寺院光明寺は、この城から300mの地へ移転させられている。
この城は1573(元亀4)年~1575(天正3)年にかけて史料に登場しており、武田方の城として見える。
1575(天正3)年6月24日に徳川軍により落城させられた。
本郭、二之郭、空堀等が残っている。
城跡からは、二俣の街から浜名湖まで見渡すことができ、素晴らしい見晴らし。
久々の再訪でしたが、思っていたより広い城跡でした。
山道はかなり長く狭いので車は小傷を覚悟すべきです。
上下左右からの小枝にやられます。
船明の方から登ったほうが良いでしょう。
徳川家康ゆかりの地。
名前 |
光明城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.8 |
光明城跡(こうみょうじょう)所在地 静岡県浜松市天竜区横川築城年 享禄年間(1528〜1532年)築城者 朝比奈時茂形態 山城(標高489m・比高…)遺構 曲輪・堀光明山の南の尾根、標高489mにある山岳寺院を利用した山城で、享禄年間(1528〜1532)今川氏輝の命で朝比奈山野守時茂が築いたようだ。
城跡は、石垣上の本曲輪や標柱がある中曲輪、堀切、箱井戸などがある。