国道沿いをゆっくり目に走ると看板がありますがうかつ...
松代藩主初代の 真田信之の墓の近くに有り、地理的に車の訪問は避けた方が良いですね。
停める場所も無ければ狭い道路が多く運転に自信の無い方は特にです。
因みに私はホテルから約2キロの片道を周囲の山々を愛でながら歩きましたが全く疲れを感じませんでした。
あの武田信玄の軍師のお墓を目の当たりに出来たのですから。
私が歴史に興味を持ち始めた頃には、その存在すら疑われていた山本勘助のお墓です。
\(^-^)/更に嬉しい事に割と直ぐ近くに「日ノ本一の兵」と徳川軍に言わしめた真田幸村(信繁)の兄、のお墓まで。
感動物です。
私の記憶が正しければ妻の小松の方は江戸から帰る途中で今の埼玉県で亡くなり、その時乗っていた輿の実物が上田城に展示されて居ました。
早くに妻を亡くし(と言うより信之が長命)2代藩主の息子に先立たれ隠居の此の地で亡くなったようです。
是非、勘助のお墓と一緒に訪れて見ては如何でしょうか?
歴史を感じます!大河ドラマで山本勘助好きになりました!
戦国参謀として以前から尊敬している方の墓前に参拝でき感無量。
千曲川の堤防道路を沿いの河川敷内にありました。
駐車所などは無く徒歩での訪問になりましたが大河ドラマで取り上げられてからずっと気になっていたのでようやく訪れることが出来ました。
地域の皆様に大切にされていると思われるお墓は綺麗にされていました。
今では実在していなかったと言われる山本勘助さん…真実はどうなんだろう?このお墓を見ると勘助さんは『実在した❗️』と思いたい今日この頃なのです。
歴史好きで武田家の重臣に興味がある方は、松代城近くなのでよっても良いと思います。
若いころ井上 靖の「風林火山」を読んでから、忘れかけていた彼への想いを大河ドラマによって呼び起こされたが、さらに今日まで月日がたってしまった。
旧松代町に通って3年目、いろいろあってやっとお参りできた。
内野聖陽氏も来たのかなぁ…?想っていたよりもりっぱなお墓で良かったぁ……、合掌!
川中島の戦いで討ち死した武田軍の軍師である山本勘助のお墓です。
大河ドラマでは山本勘助の役を内野聖陽さんが演じていました。
お墓があるとは情報を得ていましたが、なかなか見つけることができませんでしたがやっとの想いで駐車場を確保してお墓参りをすることができたのでした。
お墓があるのは千曲川の堤防から少し下がった林の中でした。
てっきり近くまでは車でいけるものだと考えていましたが、甘かったようです。
歩いていける程度の場所に昔、線路が通っていた場所があって住宅地なのか駅だったからなのか駐車場のように使われている場所がありましたのでこの場所に駐車して歩いてお墓へと向かいました。
お墓が近づくにつれて案内看板が多く見られるようになってきました。
もう少し遠くからでもわかるようにしていただけると助かるのにと思いました。
案内看板に従って河川敷を少し下がったところの林の中に山本勘助のお墓を見つけることができました。
お墓はこじんまりとしていて、林に囲まれていました。
しかし仮設の小屋が建てられていて中には大河ドラマに関する資料などが展示されていました。
お墓の周辺はきれいに整備(清掃)されていて、山本勘助が現在でも地元の方に想われているのがよくわかりました。
駐車場がわかりにくいことやお墓までの道のりを説明する看板はあるものの、古くなっていてわかりにくいことが難点と言えるのではないかと思います。
お墓のある場所は明らかに歩行者用の道路といった感じなので車で目の前まで入らない方が良いと思います。
他の方の投稿を読んでみたところ、お墓までの道のりを説明する看板が新しく設置されているようです。
まずここに至る車の駐車場を確認しましょう。
そのうえで行きました。
今なお、地元の方から手厚く供養されてるようですが、あの勘助がここに。
なんとも言えない寂しさがありました。
色々な解説もしっかりしていて、時間かけていく価値はあると思います。
和尚様にすすめられ、来ましたけど、お墓参り出来て良かったです。
道が狭いので要注意です。
車は堤防の上のハジに置きましたけど、車で近くまで行かないのが良いです。
土手にあります。
土手を登って川広場側に降りるとそこに。
信濃風林火山シリーズ。
現在は河川敷内にありますが、かつては南方の高畑にお墓があったそうですが、信州柴阿弥陀堂のあった現在の地にご遺骨を移して碑を建てられたそうです。
その後中台を設け土台を高く石積みし、洪水に備えた現在のお墓になりました。
とはいえ、河川敷内のお墓はいささか抵抗があります。
墓碑には、山本道鬼居士墓と刻まれています。
また、移設前のお墓は、陣ヶ瀬東高畑に葬られたため、五輪塔が建てられ勘助塚と呼ばれいまだに残っているそうです。
また、探し当てて行きたいものです。
国道沿いをゆっくり目に走ると看板がありますがうかつに車で入ると直角のコーナーが連続します。
軽自動車ならなんとかなりそうですがとにかく狭い路地です。
歩いた方が良いですね。
路地に看板が沢山出てくるので、従って行けばお墓にいけます。
2007年NHK 大河ドラマ風林火山の時は観光バスまでたくさん来たそうですが、いまはひっそりとしています。
道鬼、きれいに保存されています。
山本勘助は、出家後道鬼を、名乗つています。
残念ながら、一枚写真です。
車は、大変危険です。
墓石は、勘助の名はなく、道鬼です。
墓石には、山本道鬼墓と、刻まれています。
もう一度、車、横転の危険あります。
道鬼と刻まれた墓石は時代から見ると真新しいしかしながら山本勘助だから星3つてなかったら星1つ。
討たれた場所とは違う場所に墓は移されたそうです遅咲きの軍師にあやかりたいと思います!!
武田信玄の軍師として有名な山本勘助の墓です。
千曲川の河川敷堤防沿いにあり、こんな所に戦国武将の墓があるんだと驚きました。
近くに駐車場はなく、レンタサイクルで来ることをおすすめします。
名前 |
山本勘助の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
武田信玄公の軍司だった山本勘助の墓は千曲川のほとりに、ひっそりとたたずんでいます。
長期戦の川中島の闘いで、上杉謙信に秘策を見破られて命を落としたのは、さも無念だったろう…