古戦場とは思えぬほど、長閑な公園でした。
日本史では有名な川中島の合戦跡地。
神社になっており、上杉謙信と武田信玄の一騎討ちの像の他に合戦の様子などの説明が書かれた看板などがある。
歴史ファンなら一度は訪れて見たい場所だと思うがそうでない方にはあまりオススメは出来ないが公園や博物館が近くにあり店などもあるので地元の方には憩いの場になっているようだ。
川中島の合戦の事などを説明する看板などがもう少しあるとより楽しめる場所になると思う。
歴史ファンは現地で川中島の合戦に思いを馳せて見るのも良いと思う。
武田信玄と上杉謙信の一騎打ちの像の迫力、想像以上だった。
思わず引き込まれ、戦国時代にタイムスリップさせられてしまうような、そんな時間を過ごすことができた。
ここでの見どころはそのくらいだが、それでも十分に価値があると思った。
前に一度来た事がありますがあまり長い時間入れなかったので今回改めて来訪。
12年の間5度の川中島の合戦で激戦だった4度目の八幡原の戦いがあった場所です。
両軍合わせて8千人余りの戦死者が出たとの事で相当の激戦だった事が伺われます。
謙信と信玄像が躍動感があってこれを見るだけでも価値があると思います。
後アクセスですが公共の交通機関で行くなら長野駅から直接川中島古戦場行きのバスをおすすめします。
自分は信濃鉄道で川中島で降りたら川中島の駅から5キロほどあるのでタクシーもなく1時間ほど歩いて古戦場に行きました。
広い公園があります。
水路があります。
小さな神社があって御神木があります。
上杉謙信と武田信玄の銅造があります。
上杉方と武田方、それぞれの幟と陣幕があります。
合戦にちなんだ遺物があります。
あとは飲食店と売店、市立博物館、いくつかの記念碑があります。
大したものはないのに余計なものがたくさんあって、空想が妨げられます。
この口コミのように単調で退屈な史跡でした。
単調で退屈ですが、長野駅と松代の間に位置していてバスでのアクセスは良好です。
ついでの立ち寄りには適しているので、旅程が合えばばどうぞ。
善光寺ご開帳の帰り道、あまり時間のない中で寄りました。
幹線道路から入りやすい場所にありました。
たっぷり時間あったら、もっとゆっくり見たかったです。
歴史の教科書でも習った有名な戦いです。
この場所で、たくさんの人が亡くなったのだと思うと、今の時代で良かったとしみじみ。
凄い、流石親分同士の闘いはこの二人しないだろう❗
戦国ファン、武田信玄ファン、上杉謙信ファンなら、訪問すべき場所。
この像は、必ず見るべき。
武田信玄と上杉謙信が幾度も戦を繰り広げた古戦場跡は、長野市の都市公園 川中島古戦場史跡公園になっています。
園内にある八幡神社境内に、両雄が相まみえたことで有名な銅像 等があります。
見応えも申し分ありません。
余談ですが、こちらから南に信玄公の実弟 信繁公所縁の典厩寺が、東に千曲川を挟んで山本勘助の墓があります。
私が立ち寄った日は園内の紅葉も見頃で、とても素晴らしい訪問になりました。
初めての「川中島古戦場」は、長野県に位置し、戦国時代に武田信玄公と上杉謙信公が5度の戦いを展開した場所。
広大な川中島で繰り広げられた戦は、領地を広げ豊かさを求める戦いだったのでしょう。
しかし「盛者必衰」、長い歴史のなかで相互理解、共存共栄などの価値を享受できるようになって現在に至っていると思います。
歴史に学び、今後も平和な時を継続できるように努めていきたいものです。
ここで信玄と謙信は、5度も戦ったんだねぇ。
結局、雌雄を決することはできなかったんだねぇ。
そして、信玄が亡くなり、次いで謙信が亡くなり、両家は衰亡の道を辿ることになるんだけど、上杉家は領地替えを何度も繰り返しながらも、幕末まで残ったんだよね。
まぁ、そんなことはどうでもいいけど、信玄と謙信には、勝敗を決して欲しかったねぇ。
信玄と謙信の戦いに関わる物が、沢山石碑などで展示されているので、楽しいよね。
最後に、八幡様へのお参りをしてちょうだいね。
お社の横や後ろの紅葉も、とっても綺麗でした。
有名な川中島合戦があった場所。
武田信玄の広範囲な勢力図が実感できます。
長野駅から車で15分くらい。
武田側の武将、高坂弾正昌信が合戦の後、敵味方の区別なく数千の戦死者を手厚く葬り、それを聞いた上杉謙信が感激した。
というエピソードが好きです。
(この数年後、甲斐国が塩不足に陥ったとき、謙信が「敵に塩を送った」そうです※諸説あり)
5回行われた、大激戦だった4回目の戦がここ八幡原で行われました。
上杉謙信の太刀を武田信玄が軍配で受止めた有名な銅像があります。
たまたまその日に訪れている人が少なかったのか、古戦場とは思えぬほど、長閑な公園でした。
上杉謙信と武田信玄が激突した川中島古戦場。
八幡原神社や公園がある。
信玄と謙信の一騎討ち像が有名。
川中島の合戦銅像もあるが芝生の山2つありごっろごろ転がり降りれば楽しめる。
小さい子供と楽しめる場所。
手入れも行き届いて綺麗な公園でした。
博物館もプラネタリウムも安価な入場料で良さそう。
今回は入らなかったのでまた機会があれば入ってみたいです。
上杉謙信、武田信玄を語る中で大変有名な場所です。
御社や史跡、公園・博物館が整備され観光客が集い長野市民の憩いの場になっていてとても良い場所だと思います。
無料駐車場があります。
武田信玄と上杉謙信との戦いで有名な場所です。
信玄と謙信一騎打ちの像があり、戦国好きにはたまらない場所です。
八幡社があり御朱印も頂けるので戦国好き御朱印好きにもオススメです。
【かつての戦場は今では地元の人たちの憩いの場】川中島古戦場史跡公園は武田信玄と上杉謙信が戦った跡地です。
今は川が流れる静かな公園で、博物館もあります。
数年前にいきました。
駅前からバスが出ているので、アクセスは悪くないです!川中島と言えば三太刀七太刀があまりにも有名。
現地のボランティアの方が詳しく説明してくださいます。
あの上杉謙信と武田信玄がぶつかった地。
軍配で刀と渡り合った名シーンを銅像として再現して八幡社に設置されてるのは、戦国武将が好きなら萌えるだろう。
武田信玄と上杉謙信の銅像、首塚もあり、神社もあり、「ここに陣を構えて戦ったのか!」とタイムスリップしたかのような錯覚をします。
我が家は運よく、ボランティアガイドの方がお散歩にいらしていて、話しかけてくださって、ガイドでお話しされる内容を伺うことができました。
非常にお話が上手で、子供達が引き込まれていました。
武田信玄と上杉謙信がどんな人物であったか、ここでどんな合戦が行われたか、合戦の後の二人の関係等、非常に魅力的に語ってくださいました。
中高生の読む歴史漫画が更によく理解できたと思います。
本当にありがたかったです。
駐車場からは近く、すぐです。
木が程々に生い茂っているので、よく立て看板を読みたい方は時間が多少かかりますので、夏場は蚊に刺されないように虫除けスプレーをしてから行くと、良いでしょう。
駐車場の前にトイレもありますし、川中島の桃も売っていました。
(5時頃閉店です)高速のインターからも近く、非常に便利なところなので、どこかの帰りでも構わないのでちょっと立ち寄ってみるのがよいと思います。
善光寺からは少し離れていますが、松代にいった帰りなどは近くです。
走っていたら古戦場の看板が。
ちょっと立ち寄り。
信玄が待ち構える陣へ謙信が今まさに斬り込まんとする場面の像がありました。
とても広い公園になっていて銅像がある場所は神社になっています。
帰りに駐車場近くに八百屋さんがあるので大きい長芋とリンゴ頂きました。
安いです。
駐車場は無料。
食事処もありますよ。
善光寺へ向かう途中で偶然見つけたスポット。
『川中島の戦い』は学校で習った事がある聞き覚えのある感じ。
(ちゃんと歴史勉強しときゃよかった😅)割と大きな無料駐車場に停めて、旅の途中のちょっとした休憩気分です。
ぐるっと周った後には最初考えてた事がなんか申し訳ない程立派なところでした。
銅像が立派でした。
朝方だったのでここを管理している方が真摯にお参りされていました。
川中島ワンダーランド。
緑がきれいでカッコウが鳴いて、こんな素敵なところでたくさんの人が命を落としたのかと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。
社務所でトンボ玉つきのおみくじ300円をいただきましたが、小吉ながらとても良い内容で、入っていたトンボ玉も可愛くて、よい記念になりました。
ありがとうございました。
長野行きのバスに乗るため地下道をわたったら、手すりに埃が積もって汚かったので、あそこをきれいにしていただければ星5つです。
広くてのびのび出来るが、花火大会以外は夜は近づかない。
出川哲朗の充電させてもらえませんか?で寄ったところ1553年から五回行われた戦い。
有名な一騎討ちは4回目の合戦らしい。
20年振りに訪れる。
ほとんど何も変わってない気がする。
石碑だけしかない古戦場が多い中、広大な公園として保存してるのは素晴らしい。
武田信玄vs上杉謙信の一騎討ちで有名な川中島合戦場ですが、現在は何にもありません。
ただただ草原が広がるだけ。
これはツマラナイです………。
ぜひ、敷地内の『一騎討ちの像』を見に行くことをおすすめします!
川中島の戦いは、戦国時代に、甲斐国、現在の山梨県の戦国大名である武田信玄と、越後国、現在の新潟県の戦国大名である上杉謙信との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦いをいう。
最大の激戦となった第四次の戦いが千曲川と犀川が合流する三角状の平坦地である川中島、現在の長野県長野市南郊を中心に行われたことから、その他の場所で行われた戦いも総称として川中島の戦いと呼ばれる。
第四次川中島の戦い年月日:1561年(永禄4年)場所:川中島(現:長野市南郊)結果:勝敗着かず交戦勢力武田軍 武田信玄上杉軍 上杉政虎現在のグレゴリオ暦に換算して1561年10月28日午前8時頃、川中島を包む深い霧が晴れた時、いるはずのない上杉軍が眼前に布陣しているのを見て、信玄率いる武田軍本隊は愕然とした。
上杉政虎は、猛将・柿崎景家を先鋒に、車懸り(波状攻撃)で武田軍に襲いかかった。
武田軍は完全に裏をかかれた形になり、鶴翼の陣(鶴が翼を広げたように部隊を配置し、敵全体を包み込む陣形)を敷いて応戦したものの、信玄の弟の武田信繁や山本勘助、諸角虎定、初鹿野忠次らが討死するなど、劣勢であったと言われる。
乱戦の最中、手薄となった信玄の本陣に政虎が斬り込みをかけた。
『甲陽軍鑑』では、白手拭で頭を包み、放生月毛に跨がり、名刀、小豆長光を振り上げた騎馬武者が床几(しょうぎ)に座る信玄に三太刀にわたり斬りつけ、信玄は床几から立ち上がると軍配をもってこれを受け、御中間頭の原大隅守(原虎吉)が槍で騎馬武者の馬を刺すと、その場を立ち去った。
後にこの武者が上杉政虎であると知ったという。
頼山陽はこの場面を「流星光底長蛇を逸す」と詠じている。
川中島の戦いを描いた絵画や銅像では、謙信(政虎)が行人包みの僧体に描かれているが、政虎が出家して上杉謙信を名乗るのは9年後の元亀元年(1570年)である。
信玄と謙信の一騎討ちとして有名なこの場面は、歴史小説やドラマ等にしばしば登場しているが、確実な史料上からは確認されない。
なお、上杉側の史料である『北越太平記』(『北越軍談』)では一騎討ちが行われた場所を御幣川の家中とし、信玄・謙信ともに騎馬で信玄は軍配でなく太刀を持ち、信玄は手を負傷して退いたとしている。
また、大僧正・天海の目撃談も記している。
江戸時代に作成された上杉家御年譜では、斬りかかったのは荒川伊豆守だと書かれている。
また、盟友関係にあった関白・近衛前久が政虎に宛てて、合戦後に送った書状では、政虎自ら太刀を振ったと述べられており、激戦であったことは確かとされる。
横須賀市安浦町の銭湯、日の出湯に、章仙の描いた川中島の合戦のタイル絵がある。
名前 |
川中島古戦場跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
026-224-8316 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.city.nagano.nagano.jp/site/toshikouen/11379.html |
評価 |
3.9 |
善光寺への参拝の帰りに予定外で立ち寄った場所ですが、思いの外楽しめました。
広場や小川、博物館などもあり家族で訪れて遊んでいるひとが多かったです。
歴史好きのグループのかたも何組かいらっしゃったようです。
川中島の戦いやその時の歴史ことを語りながら散策してみるのにいい場所だと思いました。