長野市松代町西寺尾に〔頤気神社〕がある。
川中島古戦場八幡原社で御朱印頂きました。
奥様が書いても宜しい?と、申されたのでお願いしました。
絆の御守りも頂いて来ました。
八幡原社はいつ来ても落ち着ける場所です。
又来たい。
と言う場所のひつの場所です。
大樹のケヤキは一見の価値ありです。
地元の神社といった感じかな!
延喜インナーニュース(原文)延喜式内社。
ここの御神木は見事です。
一見の価値アリです。
対岸の小島田町頤気沖にも頤気神社があります。
面白い配置です。
県道35号線長野インターの交差点を西側に入り、細い道を南下すると有ります。
境内がとても広い。
長野市松代町西寺尾に〔頤気神社〕がある。
「いけじんじゃ」と呼ぶ。
鳥居をくぐると右手に大きなスプーンのような句碑があり、高さ1.75メートルの芭蕉句碑。
顔に似ぬほつ句も出よはつ桜天保2年(1831)の建立という。
本来は〔桃青霊神〕の方が碑正面、これが芭蕉のことで、碑陰に上記の句が刻まれている。
名前 |
頤気神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.2 |
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長野市松代に鎮座する、延喜式内社 更級11座のひとつに列せられています。
頤気【いけ】神社と読むそうですが、正確には「頤」の字の左側に一本縦線が入ります。
つまりこんな「|頤」字形。
雄略天皇3年(459年)正月に字池清水に創建されましたが、大同元年(806年)に坂上田村麻呂が字清水畑に遷座。
承和5年(838年)國守刑部正四位源朝臣光来の折、造営が加えられる。
更に養和元年(1181年)、木曽義仲により古川沿いに再建。
また新田義貞も祈願に訪れ、建武元年(1334年)社殿の大修復が行われるものの、永禄4年(1561年)、川中島合戦最大の戦いとなった第4次川中島合戦の際の兵火で焼失。
慶長元年(1596年)に再造営されたものの、寛保2年(1742年)の洪水で流失。
翌年に再々造営なされるが、文化12年(1815年)に火災で焼失。
そして現在迄続く社殿が文政3年(1820年)に再建されました。
こちらの神社は更級郡諏訪大明神とも言われていて、社殿の再建が何度も行われてきた中でも、7年毎に式年御柱祭がずっと繰り返されてきました。
拝殿前の写真の左右に建てられた御柱が、2016年の御柱祭で建てられた御柱になります。
次回の御柱祭は善光寺御開帳と同じ、令和4年(2022年)に実施されます。
諏訪の影響が大きいため、拝殿の形もかなり独特のものがあります。
ちなみに同じ松代に鎮座する延喜式内社の中村神社も、この独特の形状の拝殿を持っています。
御朱印の拝受も可能ですが、授与頂ける場所は千曲川を渡った川中島古戦場八幡社になります。