色々考えさせられる所だと思いました。
長野にまた行くことがあったら、行ってみたいと思っていた場所。
松代象山地下壕。
第二次世界大戦末期、軍が極秘に作った地下壕で、10キロメートルにも及ぶ地下壕です。
大本営と政府各省庁と天皇一家をこの地に移そうという計画がありました。
つまりは東京を捨てて逃げようとしていたんですね、軍の偉い人は。
結局は使われる前に終戦になったわけだけど、天皇の座るはずだった場所には畳まで残っています。
地元の人は強制立ち退きと強制労働で何百何千もの犠牲者が出たとか。
海外からの強制労働者もたくさん犠牲になっています。
終戦までのたった1年でよくこれほど造れたものよとその犠牲者の有り様が想像されます。
公開されているのはごく一部ですが、それだけでもゾッとします。
私以外に見学者はおらず、めちゃくちゃ怖かった。
ある場所から急に暗くなって、空気が寒いくらいになって霧がかかり始めます。
何度も引き返そうと思ったけど、何とか最後まで歩き通しました。
あまり知られていない戦争遺跡ですが、見ておくべきものの1つだと思います。
色々考えさせられます。
怖かったけど行って良かったです。
地下壕に駐車場は無いので、徒歩7分で無料の代官町駐車場へ停めて歩いて行きました。
もう少し近いと有料200円っていうのがありました。
受付を済ませてヘルメットを借りて地下壕へ入っていきます。
夏場でも涼しくて寒いくらいです。
薄暗い箇所が多く地面はデコボコで濡れているので、ヒールやサンダルは注意が必要です。
第二次世界大戦の本土決戦最後の拠点として極秘のうちに終戦の日まで建設されたそうです。
見学できるコースは約500メートル区間で、地下壕の奥にはコウモリが何匹か飛んでいたのがちょっと怖かったです。
『入場料』無料受付けを済ませると、各自で自分に合ったヘルメットを借りて地下壕に入ります。
壕の広さは驚具ほど広いのでビックリ!公開されている部分は一部だけなので更に驚きです。
壕の壁面は手彫り感満載。
壕を掘るのがどれだけ大変なことだったのかをうかがい知ることができます。
学生団体旅行で利用しました。
極秘で作られたという大きな地下壕は、年中平均気温が16度ほどらしく、夏は涼しく冬は暖かい入る時には必ずヘルメットを着用します中は砂利っぽく、場所によっては結露でできた水溜まりもあるため、歩きやすい靴がいいです。
中は一本道でUターンして帰ってくるので入口出口は一緒壕の前に御手洗がありますが男女個室各2つづつのため、また駐車場にもトイレがないので混雑します。
バス5台で行かせていただき、グループも5つにわけたので、ヘルメットの配布、トイレまちなど、最初と最後のチームには時間差がつきます。
(まつしろぞうざんちかごう)この大きな地下壕を作る時、どんな人が、どんな思いで作ったのか、とても学びのある学習をさせて頂きましたボランティアガイドの方もとても熱心にお話されていて、歴史を知ることが出来てとてもよかったです。
第二次世界大戦、本土決戦の最後の拠点として作られた地下壕です延長は約10kmで見た感じ全体の1割以下ほどの規模で見学が可能となっています私が感じたのは以下3点・見学者がほとんどおらずひっそりとしている(言い方を変えればストレスなく自由に見学が可能で良い)・シーンと静まりかえっており異空間を体験できる・遠い未来の物は体験できないがここが残されていることで昔の空間だったり匂いだったり視覚だったりが五感で感じられる場所この地下壕は軍部が本土決戦の最後の拠点として極秘に大本営、政府各省等をこの地に移すという計画でつくられています約8ヶ月の間に作ったのですからすごい当時は労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に働かされたそうですなぜここ松代なのかという疑問はウイキにて記載がありました①本州の陸地の最も幅の広いところにあり近くに飛行場(長野飛行場)がある②固い岩盤で掘削に適し、10トン爆弾にも耐える③山に囲まれていて地下工事をするのに十分な面積を持ち広い平野がある④長野県は労働力が豊か⑤長野県の人は心が純朴で秘密が守られる⑥信州は神州に通じ品格もある⑦松代に縁起の良い松という文字が含まれていただそうですこちらの地下壕は遠回りしてでも旅行の際には行った方がいいとお勧めする場所です料金は無料少し離れたところに無料駐車場もありますGoogle口コミ参考になったなら👍ポチッお願いします。
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入場無料でした。
自動車の駐車場はありませんので、探してから訪問するのをお薦めします。
地下豪は明りはありますが足元が不安な人は懐中電灯を持参してくださいませ。
また、コウモリも住んでますよ。
太平洋戦争末期に東京の政府機能移転のためにこの地域に作られた地下壕の一つ。
少し離れたところに町営駐車場があります。
入り口でヘルメットを渡されて、地下道を進んでいきます。
このような内陸に移転して本土決戦を本気で考えていたとするとぞっとします。
戦争の愚かさを考える上でも、もっと多くの人に知ってもらった方がいい施設だと思いました。
恥ずかしながら今回の長野訪問で初めて存在を知りました。
先の大戦中、ここで多くの方々の汗、涙、想いが流れ、命尽きた方がいた事実に大袈裟でなく衝撃をうけました。
戦前生まれの老親にあらためていろいろな話を聞いておきたくなりました。
戦争を知らない我々が記憶に記していくべきとあらためて感じた次第です。
施設自体は無料になっていますが現地に駐車場はありません周辺の駐車場を探すか(手前に200円で停めることが出来る駐車場がありました)他の有料の施設に停めさせてもらうようになります防空壕だと思ってましたが大本営と言う大切な所になりそうな場所だったようです中は薄暗く怖い感じですが日本人として一度入ってみる価値はあるかと思います中は基本的にただの通路ですが所々に説明がありますので読みました砂利で歩きにくいです気温は下がりますコウモリがちょっと怖かった往復で1km程あるようです別に皇居の代わりになる施設が見ることが出来る場所があるようなので次回は訪れて見たいと思いました。
太平洋戦争末期 敗色濃厚となった昭和19年、首都機能を移転させるために、ここ松代に巨大地下壕の建設が開始された。
11月11日11時から作業が始まったという。
この地下壕は政府省庁が入る目的で造られた。
他に、天皇皇后陛下の御在所や、内閣用の地下壕なども同時に掘られ、巨大プロジェクトだった事がわかる。
もちろん極秘裏に進められた。
翌年8月の終戦時には7~8割完成していたというから、ものすごい突貫工事だったのだろう。
天皇皇后両陛下を乗せて東京から移動するための特別な装甲車も作られていたそう。
(アメリカ軍に制空権を握られ、鉄道は分断されていた)これだけの施設を無料で見学できるとは感謝しかありません。
終点まで行って戻ってくるまで30分くらいかかります。
駐車場はないので徒歩10分程の市営無料駐車場に停めましょう。
【令和3年5月初訪問】第二次世界大戦末期に帝国軍が本土決戦のために突貫工事で作った防空壕です。
岩盤を削岩機などで掘ったようです。
当時の朝鮮人や日本人などの人力により作られ、多くの人が犠牲になった負の歴史遺産です。
入構には用意されているヘルメットが必要で、175センチの身長で頭に岩が当たりますので要注意。
駐車場はありませんが、駐輪場があり、バイクで行った私はそこに停めさせてもらえました。
車の人は象山神社に停めるのが1番近いと思います。
松代に大本営を移転させようとして作った壕があると、随分前からその存在は認識していましたが、今回たまたま近くを通ることがあり立ち寄ってみました。
大戦末期の昭和19年から掘削が始まり、それは終戦まで続けられました。
その作業には多くの朝鮮人労働者が駆り出されたと記述がありましたが、強制連行と植民地との文字に異論があります。
当時朝鮮半島は日本の統治下にあり、強制連行と植民地という文字は当てはまりません。
強制連行とした事実は、多くは終戦後朝鮮進駐軍として日本国内を戦勝国気取りで闊歩していた在日朝鮮人と、その取り巻きの左翼勢力のプロパガンダであると認識しています。
事実坑道入口横にある資料館でも、強制連行と植民地という記述はありましたが、中には朝鮮人コーディネーターが偽って朝鮮半島から連れ出したとの記述があり、その点は評価したいと思います。
坑道内は1から20までの縦とabcとアルファベットが付けられた横の坑道が掘られており、総延長は10kmにも及ぶと案内板には書かれていました。
坑道入り口から奥に向かってやや下っており、その辺りは天井も低く、私の身長では姿勢を低くしなければ進めなかったのですが、しばらくしたら天井の高さも高くなり、普通の日本人体型の人なら背を伸ばして歩くことができる高さでした。
大東亜戦争も末期になり、ここに地下壕を作ってまでもあの戦いを続けなければ行けなかった理由、それは私達今、想像で簡単に話すべきことではないと思いますが、それでもいま日本という国が存在し、私達が生きているこということに対しては、あの戦いで犠牲になった多くの人たちのおかげであったと言わざるを得ないと思っています。
末永くこの壕を保存し、あの戦いの真実の意味を後世に伝えていく貴重な資料として残されることを望みます。
松代大本営地下壕跡 2019/04/23存在も知っていたし、話も聞いた事があったけれど、訪問したのは初めて。
第二次世界大戦の末期に天皇並びに政府機関を長野県の松代の地下へ移そうとした狂気の計画の跡。
本土決戦になっても、天皇、政府機関、NHK等は松代の地下壕に避難させて、本土決戦にもちこんで、日本の国を維持しようというとんでもない計画の跡。
もっと洞窟的なイメージでいたら、車1台余裕で走れるほどの大きさで永延と続いている。
8-9ヶ月の突貫工事でこれだけの物を作ってしまうんだから、すごいよなぁ~。
この時代の話なので、当然作業に当たった労働者は秘密を守る為に消されてしまうと。
←完成前に終戦になったので、消されずに済んだようですが。
(この他に天皇が移ってくる為の防空壕もあり)
戦時中に防空壕として使われた場所を一部ですが見学できます。
てっきり入場料かかるかと思いきや、なんと無料!しかもヘルメット着用必須ですが、それを借りるのも無料。
平日の朝早い時間だったのもあってか自分以外に誰もおらず、貸し切りでした。
奥まで行って帰ってくる間、誰ともすれ違いませんでした。
一番奥まで歩くと10~15分くらいかかりますが、途中や一番奥での見所は正直目玉と言えそうなものはありません。
また戦争の遺物ではありますが、戦争の悲惨さを伝える・・・といった類のものもありません。
途中からは似たような景色が続くので、雰囲気を味わう程度でよければ、必ずしも一番奥まで行く必要はないかも。
なおヘルメット着用必須とはいっても、着用してないと危ない・・・なんてことはありませんでした。
また足場はいいとは言えませんが勾配は少ないです。
明かりもちゃんとあり、暗さの面での心配も不要です。
長野県民は無料であること。
歴史遺産として、ちょっとマイナーですが貴重であること。
延々と地下空間が続きます。
碁盤の目状に張り巡らされていて、見学できるのはそのごく一部です。
本土決戦を信じて、松代に政府の機能をそのまま移転しようとして掘られた訳ですが、大勢を動員してこのようなものを掘っていることに対してある種の狂気を感じました。
洞内には多数のコウモリが棲みついていて、頭上をかすめて飛び回っています。
終戦記念日にガイドさんに話を伺いながら、拝見しました。
当たり前ですが、日本人として歴史を知ることは改めて大切な事だなと思いました。
通年を通して17℃程で、非常に快適です。
敗色が濃厚となった第二次大戦末期、本土決戦を睨み当時の長野県埴科郡松代町の山中である象山、舞鶴山、皆神山に地下坑道を掘り、皇居や大本営を始めとする政治の中枢機能を移転させ徹底抗戦を目論んで作られた地下壕。
松代大本営との呼び方もある。
今の時代に考えればこんな所に籠城し徹底抗戦をしてみたところで、敗戦は時間の問題だった筈で、当時の日本軍はどこまで本気だったのか今となっては知るすべもないが、日本人が集団と化した際、分が悪くなってくるとこういった具合にまともな判断が出来ず、おかしな方向に突き進んでしまうのは何故なのかと、この地下壕を見てそんな事を思った次第である。
翻って現代においても、企業の不祥事が頻発している現状を鑑みると、その集団の空気による同調圧力がそうさせてしまうのかも知れず、案外それは日本人にとって根が深い病巣なのではないかとも思えるのである。
こんな巨大な地下壕が、一見するとのどかな田舎景色の中にあるのはすごく不思議な気持ちになります。
直接戦場になったわけではありませんが、当時の人達は本気で本土決戦を考えていた戦争遺構だと思います。
無料ですので時間のあるかたは是非足を運んで下さい。
維持費も莫大にかかることでしょうが、無料で公開してくれています。
本土決戦に備えて当時の金額で3億もの費用や、人的犠牲を費やしてこのような壮大なトンネルを作った。
尾去沢のような廃坑後の様子に似ています。
こちらは、鉱物を掘るためでもなく、蟻が巣を作るためでもありません。
鉱山やアリの巣は生産的だが、こちらは滅びの準備です。
戦争や戦争指導者の狂気を身近に感じ取れました。
本格的な防空壕。
規模も大きく、かなり満足度はあります。
歴史も感じられ、非常にオススメです。
ただ、戦争の重さを感じれるわけではないので、そう言ったことには向かないです。
色々考えさせられる所だと思いました。
スタッフの皆様これからも体に気をつけて訪れた方に貴重なお話しをして下さい。
私は良い経験させて頂きました。
ありがとうございました。
あまり知られていない遺跡です。
国家プロジェクトだけあって壮大な地下施設です。
入場無料、戦時中の歴史的に 重要な場所です。
後世に、地下郷の造られた経緯を伝える必要があります。
夏は涼しく、涼感スポットです。
入場無料でした。
ヘルメットを借りて入りました。
戦争について考えさせられました。
舞鶴山の天皇御座所も見学をおすすめします。
チョウ穴場の過去遺産。
一見の価値あり。
もうひとつの歴史館・松代で施設説明が聞けます。
駐車スペースも5台程度あり。
運が良ければ駐車可能。
今後通路の整備に期待、この時代、車椅子利用を可能にして。
砂利敷きでは先に進めない。
名前 |
松代象山地下壕 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
026-224-8316 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~15:30 |
関連サイト |
https://www.city.nagano.nagano.jp/site/kanko-nagano/22100.html |
評価 |
4.1 |
第二次世界大戦の末期、本土決戦の最後の拠点として極秘に建設された地下壕。
舞鶴山を中心に皆神山、象山の3箇所から碁盤の目のように掘り抜かれており、その延長は約10kmにも及ぶ。
ここは地質学的にも堅い岩盤地帯であるばかりでなく、海岸線からも遠く、川中島合戦の古戦場として知られている要害の地で、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日からおよそ9箇月の間に全工程の約8割が完成して終戦を迎えた。
この建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、また、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われている。
平成元年より、長野市の管理の元、約500mの区間が見学コースとして整備され、戦争遺跡として公開されている。