中條埴志那神社で心静まるひととき。
中條埴志那神社の特徴
御祭神は健御名方神と弁財天で、由緒ある神社です。
国道403号線から松代温泉方向に進むと辿り着きます。
歴史ある中條埴志那神社は寛正と文明の時代に創建されました。
『愛宕山』を廻り込むように側道へ。
すれ違いを譲り合うような狭い生活道路です。
鳥居が在りましたので駐車場とおぼしき空地へ車を停めます。
特に説明など書かれていなかったので車の中でgoogle検索。
それでもやっぱりよく解りません。
(詳しく研究されている方がいますのでそちらを参照ください)『拝殿の梁』などが神社っぽく在りません。
何の神様かも解りませんけど、神社ですので参拝。
願掛けするとかで無く、『参拝に来る事が出来ました』と報告です。
拝殿裏には『御社』へと続く石段が見えますので行ってみます。
鉄柵に囲まれて中には入れませんでした。
この裏山(愛宕山)の頂上付近には当地を治めた豪族『寺尾氏』の『寺尾城跡』が在ります。
山の中腹まで石積などが残されていて、当時が偲ばれます。
国道403号線から松代温泉方向に入ると有ります。
名前 |
中條埴志那神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.0 |
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中條埴志那神社(ちゅうじょうはにしなじんじゃ)御祭神:健御名方神(たけみなかたのみこと・諏訪大明神)・弁財天(べんざいてん)由緒:寛正(1461~1466)文明(1469~1486)の頃の信濃国は、大小の押領使(治安維持のお務め)が領地を治めていた。
千曲川の東に位置する寺尾郷の領主「寺尾前豊後守業升」と、近隣境を接する清野氏(現松代町清野)との諍いが絶えなかったが、女神にまつわる出来事により和睦が叶ったという伝説が伝わっている。
このことから、両氏は争いを止め、甲越合戦の後も上杉氏に従い共に会津へ移り住んでいる。
さて、前述のような出来事をきっかけとし、かつてよりこの地の産土神であった諏訪大明神を主祭神、女神ならぬ弁財天天女を勧請し、かの神社となったという。
社殿:拝殿、本殿摂社末社:?