護良親王、雛鶴姫の由緒ある神社でした。
護良親王、雛鶴姫の由緒ある神社でした。
雰囲気あります。
神秘的なスポット。
護良親王の寵姫、雛鶴姫を祀った神社。
峠の反対の朝日曾雌側と比べて綺麗に整備されています。
本殿は、平成元年に新しく作ったみたいですが、ちょっと立派すぎる感じも受けます。
葛城神社ともありますので、雛鶴姫の生んだ葛城宮も一緒に祀ってるのでしょうね他に雛鶴姫の墓と言われる小さな塚もあります。
昔のままなのかな、奥の小さな石祠が趣があって良いですね。
こっちが元宮なのだと思いますけど、凄く清浄な感じを受けます。
道路からは川向こうの境内がよく見渡せるので、見落とすことは無いと思いますが、駐車場は無いので前の道路に停める事になります。
峠の反対の朝日曾雌側と比べて綺麗に整備されています。
本殿は、平成元年に新しく作ったみたいですが、ちょっと立派すぎる感じも受けます。
葛城神社ともありますので、雛鶴姫の生んだ葛城宮も一緒に祀ってるのでしょうね他に雛鶴姫の墓と言われる小さな塚もあります。
昔のままなのかな、奥の小さな石祠が趣があって良いですね。
こっちが元宮なのだと思いますけど、凄く清浄な感じを受けます。
道路からは川向こうの境内がよく見渡せるので、見落とすことは無いと思いますが、駐車場は無いので前の道路に停める事になります。
平成元年に再建したみたいです。
雛鶴姫は、南北朝時代の南朝・後醍醐天皇の皇子、護良親王(もりながしんのう)の妃。
護良親王は鎌倉で足利尊氏に首をはねられたが、雛鶴姫は従者と供に首級(しるし)を京の都に送り届けようと、密かに首級を持ち出して鎌倉を抜け西を目指す。
人目を避けるため東海道でなく、山深い相模原・津久井からのルートを進んだが、ついにこの付近で力尽き息絶えてしまう。
地元民は亡骸を埋め、墓を建て、長年弔ったという。
県道35線の道沿いにあるので迷うことはないが、駐車場はない。
もともと長年の歳月を経て、今も拝殿の横に遺る小さい祠があった場所を、平成元年に今の立派な社にしたのだそう。
朱色の小さい橋を渡って神殿区画に入り、遺構として残っていた祠と、雛鶴姫の墓と伝わる墓石が本殿に並んであり、その他、雛鶴姫像と記念碑などが建つ。
築から24年経っても綺麗で立派であるが少々「やりすぎ」感もある。
実は「雛鶴姫の墓/雛鶴神社」は他にもあり、これより先の朝日曽雌という場所にも規模は小さいものの、氏子によって手厚く弔われた場所がある。
さらにいえば、ここよりちょっと離れた道志にも伝承の地がある。
無生野側のお墓は上野原市の地域、朝日曽雄側は都留市の地域ではあるのだが、互いに市町村や教育委員会は管理してはおらず、氏子がそれぞれ管理しているらしい。
(無生野側には教団の関与もあるそうだ)ちなみに、もうひとつの雛鶴姫墓所はそのまま道沿いを進めば入り口があるが、道は舗装されておらず、オンロードバイクで強引に進んだ先にあった。
社も木々に囲まれ、道路からは見えない位置にある。
進むと開けた地に山桜の並びが迎えてくれ、近くには姫を慕った臣下の墓代わりとした「供の松」跡(虫食いで朽ちた)が遺り、その先にひっそりと社がある。
ちなみにさらに35号線を進むと、「石船神社」がある。
ここのご神体は「人の頭蓋骨」であり、その人は雛鶴姫が持って逃げた護良親王であると伝わる。
頭蓋骨に日本最古の復顔術と呼ばれる施術を施し、社の奥、赤く小さな本殿に眠っている。
年に一度だけ公に公開されるそうだ。
この県道35号線を走るときは、雛鶴神社、石船神社の三箇所を巡っておくべきであろう。
雛鶴姫は、南北朝時代の南朝・後醍醐天皇の皇子、護良親王(もりながしんのう)の妃。
護良親王は鎌倉で足利尊氏に首をはねられたが、雛鶴姫は従者と供に首級(しるし)を京の都に送り届けようと、密かに首級を持ち出して鎌倉を抜け西を目指す。
人目を避けるため東海道でなく、山深い相模原・津久井からのルートを進んだが、ついにこの付近で力尽き息絶えてしまう。
地元民は亡骸を埋め、墓を建て、長年弔ったという。
県道35線の道沿いにあるので迷うことはないが、駐車場はない。
もともと長年の歳月を経て、今も拝殿の横に遺る小さい祠があった場所を、平成元年に今の立派な社にしたのだそう。
朱色の小さい橋を渡って神殿区画に入り、遺構として残っていた祠と、雛鶴姫の墓と伝わる墓石が本殿に並んであり、その他、雛鶴姫像と記念碑などが建つ。
築から24年経っても綺麗で立派であるが少々「やりすぎ」感もある。
実は「雛鶴姫の墓/雛鶴神社」は他にもあり、これより先の朝日曽雌という場所にも規模は小さいものの、氏子によって手厚く弔われた場所がある。
さらにいえば、ここよりちょっと離れた道志にも伝承の地がある。
無生野側のお墓は上野原市の地域、朝日曽雄側は都留市の地域ではあるのだが、互いに市町村や教育委員会は管理してはおらず、氏子がそれぞれ管理しているらしい。
(無生野側には教団の関与もあるそうだ)ちなみに、もうひとつの雛鶴姫墓所はそのまま道沿いを進めば入り口があるが、道は舗装されておらず、オンロードバイクで強引に進んだ先にあった。
社も木々に囲まれ、道路からは見えない位置にある。
進むと開けた地に山桜の並びが迎えてくれ、近くには姫を慕った臣下の墓代わりとした「供の松」跡(虫食いで朽ちた)が遺り、その先にひっそりと社がある。
ちなみにさらに35号線を進むと、「石船神社」がある。
ここのご神体は「人の頭蓋骨」であり、その人は雛鶴姫が持って逃げた護良親王であると伝わる。
頭蓋骨に日本最古の復顔術と呼ばれる施術を施し、社の奥、赤く小さな本殿に眠っている。
年に一度だけ公に公開されるそうだ。
この県道35号線を走るときは、雛鶴神社、石船神社の三箇所を巡っておくべきであろう。
名前 |
雛鶴神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
峠道の途中にある立派な神社です。
雛鶴神社は山梨県都留市ある神社で石船神社に首級が祀られている護良親王のお妃である雛鶴姫を祀っている神社みたいです(ΦωΦ)