このあとの郡山城跡、登山は、、、、
あたり一体が歴史パークで、その中心に元就が鎮座しています。
清神社の参道は桜満開で明るく華やかでした。
マオリ元が最強(原文)毛利元就最強。
言葉いらないね。
このあとの郡山城跡、登山は、、、、
店舗の敷地内にあるが営業していないように感じた。
なんかちゃっちいかな。
像も銅像ではなくセメントみたいですし。
中国地方を治めたレベルなのだから、寄付を募って立派な銅像を建ててほしい。
元就公像から上に登ると、展望台に成ります。
安芸高田市歴史民俗博物館から徒歩で5〜10分程度の場所(郡山城の登城ルート)にあります。
少し控えめに造られている印象を受けました。
もっと土台を高くしても良いのかなと思いました。
5月の天気が良い日でもかなりの暑さを感じました。
日陰も無さそうなので、水分補給など暑さ対策は万全に…。
名前 |
毛利元就公像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
毛利元就は国づくりにおいて、「一致団結」することを重視しました。
毛利元就が一致団結することの大切さを人々に説いた、「三本の矢」と「百万一心」という逸話があります。
「三本の矢」の逸話は非常に有名なので、ご存知の方も多いです。
ある時、毛利元就は毛利隆元、毛利元春、毛利隆景の3兄弟を呼び寄せると、一本の矢を折るように命じました。
もちろん、矢はあっさりと折れてしまいますが、次は三本の矢束を折るように命じると、今度は誰も折ることができません。
「一本の矢では脆くても、三本の矢が束になれば頑丈になる」。
3兄弟は結束することの大切さを学んだのです。
「百万一心」の逸話が生まれたのは、毛利家の居城である吉田郡山城の改修工事が行なわれた1524年(大永4年)頃のこと。
安芸の領民は「工事がうまくいくように」と神様にお願いするために、娘を人柱にしようとしたのですが、毛利元就は、娘の代わりに石柱を埋めるように命じました。
この石柱に刻まれていたのが「百万一心」という文字で、縦に読むと「一日一力一心」と読めるように刻まれています。
「娘の命を奪わなくても、一日一日を一人一人が心をひとつにして働けば、城の工事は必ずうまくいく」と、毛利元就は人々に訴えたのです。
現在、「集団が一致団結すれば、より大きな力を出せる」ことは常識となっています。
もしかすると、この常識のルーツとなったのは毛利元就の教えなのかもしれません。
行き違い等々の切はご容赦下さいませ。
本所亀沢町6代目末孫。