ぐたらの池 住所:愛知県安城市小川町岩根 【ぐたら...
ぐたら池(ぐたらの池) / / .
名前 |
ぐたら池(ぐたらの池) |
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ぐたらの池住所:愛知県安城市小川町岩根【ぐたら池石碑より】ぐたらの池古老の語るところによれば聖徳太子我国に佛教を受け入れの際豫て之に反対の輩 太子を亡き者にせんと企んでいた偶 太子の葛城山麓を通り給うを知り山上に待ちて巨岩を落とした。
太子は霊告にて既に之を知り給えば馬上に在りて少しも騒がずはっしと鞭にて受け給う不思議や岩は三ツに割れて一ツは奥州に一ツは播州に残る一ツは此処岩根に落ちたりと太子は無事に御通過佛徳の然らしむる処か。
村人は轟音に驚き集りて見れば岩は地中深く喰いこみじいじいと鳴きてやまず男は堀り方に女は炊き出に当り村を挙げての大騒ぎ軈て掘り出した岩を村の総力をあげて村外に曳き運びたるや村端れにてぴたり鳴きやみたり岩は其のまゝ置けりと岩根山松韻寺の岩即ち是なり堀りし跡はくしゃくしゃとなり水溜り池となったぐたらの池の名生ぜりと一説には葛城は別名を百済といったのでそれが訛ったともあるかわ定かならず村名は岩の根になった所から岩根とつけ岩を置きたる所は鳴き声に因んで寺領と名付けたりと伝々星移り時の流れて一千余年由緒深き池も圃場整備の為今は無し伝説も亦風化しつゝあるのを憂いて碑を建たいものなり。
翼は人々暫し碑前に佇みて太子の御遺徳を仰ぐと共に綿々と語り伝えたる先人の意を後世に申し継がれんことを 矣 昭和六十年十月七日 文責 元岩根出身 加藤吉郎 七十七才【広報あんじょう2005.10.1「あんじょうみてあるき」より】今からおよそ1400年前、聖徳太子が10歳の時のこと。
蝦夷征伐に出かけた太子は、その帰り道に山の上に隠れていた賊から大きな岩を投げつけられました。
太子がとっさに、手に持った黄金のむちで岩をうつと、岩は三つに砕かれて、大空へ飛び散っていったのです。
その三つの岩は、一つは播州(現在の兵庫県)、一つは奥州(現在の福島県)、そして残る一つは三州(三河)の小川の里・岩根に落ちました。
落下した岩は地中深くに食い込み、その衝撃で起きたごう音に村の人たちは驚きました。
そして、岩が「ジージー」と鳴いたため、村中が総出で寺領まで運んでいったという話が伝わっています。
この話が、現在、松韻寺の境内にある「むちうけの岩」にまつわる言い伝えです。
現在、寺には黄金のむちを持ち、白馬にまたがった太子の像がありますが、これは岩を砕いた際の太子の姿と伝えられています。
また、言い伝えにちなんだ歌も残っています。
『むち宇計(うげ)の 岩根山こそ 皇廼(すめらぎの) 代々耳続(につ)きせぬ 以(い)わの いしずえ』 さて、岩が空を飛んで来たという話は現実的にはありえないことです。
おそらくは、この岩を太子信仰のための対象とするための伝説ではないでしょうか。
しかし、他の二つの地域にも飛んできたとされる岩が残っており、ただの伝説と片付けられない、興味深い話でもあると思います。