この少飛の塔である。
説明板には次の説明があります。
《この地には、昭和13年より終戦に至る八年有余にわたり東京陸軍少年飛行兵学校がありました。
祖国の急を救わんと、全国各地よりはせ参じた若冠14・5才の少年達が、ひたすらに大空へと志し、情熱を燃やして訓練に励んだ、元陸軍少年飛行兵揺らんのちです。
昭和38年生存者有志により、戦没者のめい福を祈念して慰霊碑を建立しました。
》
禅昌寺の境内の片隅にひっそりと置かれている「少飛の塔」ですが、昔、ココ武蔵村山市には少年飛行隊の訓練校があったとの事です。
特攻隊だけでなく、戦争により空で失われたたくさんの命の為に後世に建てられた史跡のようです。
武蔵村山には戦争の記憶を刻んだ板碑がいくつか残されている。
この塔はそれらとは一線を画し、しっかりと祈りの場であり続けている。
しかし多くの記憶はすでに、顧みる人が少なくなってしまっている。
いくつもある記憶が誰の目にも触れなくなるようなことがないよう、過去に悲しいことがあったという記憶がなくならないよう祈ります。
名前 |
少飛の塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.3 |
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東京陸軍航空学校跡に現在ある「揺籃之地」碑が建てられる前にあった慰霊碑が、この少飛の塔である。
永代供養のためここに移転したとされる。
陸軍少年飛行学校は東京と大津及び大分に三つあり、東京には第6基から第20期までの生徒が在籍した。
15歳前後の生徒たちはこれら学校で1年学び、のち各分野に分かれ上級学校へ進み2年学び、各部隊へ配属となった。
少年飛行兵制度下の1-20期の卒業生は46000名、うち約4500名が戦死。
戦死者の中で約450名は特別攻撃によるものと言う。